広島に原爆が落とされてから68年目の8時15分、画面の向こうで黙祷を捧げる人達のことをぼんやりと眺めていた。
彼の地に縁者をほとんど持たない私にとって それはテレビや書物を通じて想像するしかない遠い土地の出来事だ。
反核を叫ぶ人を見ても、正直「そうだね」くらいの感情しか湧いてこない。思えば日常的に「情が薄い」と言われているし、確かに何かずれてるんだろう。
声を上げること・静かに叫ぶこと
一方、
『600メートル上空で起爆した核エネルギーが地表を3,000℃に焼き、秒速440メートルの衝撃波が350万パスカルの爆圧を起こした』
という一文が目に留まり、その膨大なエネルギーをざっと想像してみて、食事なんかもうどうでも良くなるくらい涙がこぼれた。
感情の乗らないデータは時代と共に劣化することがない。68年後…いや、更なる未来の誰かにも変わらぬ強さで感情を揺さぶり続けるだろう。その心情が多くの共感を呼ばなないことなど とっくの昔から知っている私は、世界中の人々の心が一つに向かう未来も来なくていいと思ってる。
それは思想弾圧を認めない点において社会の平安を心の底から願ってることに繋がるんだけど、きっとこれからの人生も多くの平和主義者からそしられ続けるんだろうね。
1004 / 旧URL /2013/08/06/68th-hiroshima-day/