祖母を通じて見た戦禍

「戦争を知らない子供達」さえ遠い、私にとっての終戦記念日

祖母を通じて見た戦禍

私が小学生の時に死んだ父方の祖母は戦災未亡人であった。

自らについて何も語らない人だったから、私は彼女の生い立ちについてほとんど知らない。

幼い頃に親同然の面倒を見て貰っていたにも関わらず、である。

祖母の体に刻み込まれた戦争の傷跡

母から伝え聞いた祖母の属性は、決して多くない。大正末期に生まれたこと、きょうだいの数、医療者として責任ある立場にいたこと、あと硫黄島特攻で没した祖父が19で出征したということくらいだろう。他にも2~3あったように思うが、もうすっかり忘れてしまった。

それでいて鬼籍に入った祖母を想うに感じるのは、生前の言動が太平洋戦争と深く紐づけられてたのだなと言うこと。

もちろん彼女が凄惨な思い出語りをしたわけではない。戦争体験の詳記ならば母方の祖父母にこそ多くのことを教わった。

振り返って彼女が何をしたかと言えば、上機嫌の際に軍歌を口ずさみ、亡夫の印象を問われて眉尻一つ動かさず、病院の待合室で見かけた桃太郎の絵本を眺めて「そんな話は初めて見たよ」と言ったとか、実にその程度の話だったように思う。

だが、それはとりもなおさず彼女の無意識に入り込んだ戦禍に他ならない。

口をつく歌が他にないこと、父の生年から逆算して実質的な婚姻期間が数ヶ月しかなかっただろうこと、ひいては赤紙が来たのと前後して急ぎ祝言をとりまとめたかも知れないことや、国威発揚のアイコンとして初等教育現場で多用されたはずの桃太郎すら知らないほどに通学できなかったこと…などが偲ばれて胸が痛む。

ただ、彼女を哀れに思ったりはしないのだけど。

改めて記憶を辿れば、苦笑いしたくなるほど口の悪い人だった。それでも、陰でこそこそと恨みを吐き出すようなこともしなかった。

なべて、困難を乗り越えた人の心は強い。

悼むべき魂と直接対峙したことのない私にとって、8月15日は自分のルーツを再確認するための日なのだ。

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