「無断引用」は研究室で起きてるんじゃない報道で起きてるんだ

「無断引用」なる造語が出来た背景について、記憶の範囲で書き出してみました。

「無断引用」は研究室で起きてるんじゃない報道で起きてるんだ

Fumiaki Nishihara氏の『「無断引用」という表現はやめよう』を読み全くその通りだと思ったんですが、気になった点が一つ。

「無断引用」という表現はどこから来てどうしたいのか。

とりあえずマスコミが「無断引用」に悪意を乗せるのは当然でしょう。だって「無断引用」とか言い出したのは知る限りマスコミが発端だもの。

はじめに:本稿の概要

一般に許されているはずの引用行為を「無断引用」なる表現で糾弾する手法は、90年代中期の新聞社が発端となって広まったという認識を持っています。

時代背景など裏付けをとりたかったのですが、当時のログが散逸してるので記憶の範囲で当時の経緯を整理してみました。

引用とその作法について

引用の概要について、Nishihara氏の記事より一部をご紹介します。興味を持たれた方は参照ページも是非。

引用という行為は、引用の作法を守っているかぎり、法的にも倫理的にも何ら問題のない行為である。そして、引用は基本的に無断で行われる。わざわざ出典の著者の許可をとらないのである。つまり、無断で行われる引用は全く正常な行為であり、研究上の不正ではない。

(中略)

引用を引用として成り立たせるためには、引用の作法を守らなくてはならない。引用の作法には、大まかに言って以下の3点があるだろう。
1:出典を明らかにすること。
2:引用部分と自分が書いた部分を明確に区分できるようにすること。
3:自分が書いた部分が文章の中で主要な役割を果たし、引用部分はあくまでも文章の中で補助的な役割を果たすようにすること。

「無断引用」という表現はやめよう – Colorless Green Ideas

…という点を踏まえて本論です。

インターネット紀元前に引用を悪とする文化はなかった

インターネット元年をいつとするかは諸説あるのですが、ひとまず大手プロバイダがほぼ全都道府県にアクセスポイントを置いてWindowsが標準でインターネット接続出来るようになった97年頃とします。

これ以前のインターネット黎明期、あるいは更に昔のパソコン通信時代において引用を悪とする文脈はなかったように思います。

当時コンピュータを使っていたのは理工系か大学人が多かったし、論文や引用についての見識は最低限共有されていたはずです。そもそもハイパーテキスト自体が他人の文書に言及するための枠組みですし。

ただ、それでもコンテンツの盗用は避けられない問題ですから「引用の範囲を超えた無断転載はご遠慮下さい」といった意見はありました。これは先の引用定義にも従う通り、ごく正当な主張です。

新聞社のネット参入と奇妙な引用禁止規定

そんな中、新聞記事がインターネットで読めるようになったのは一般ユーザにとってちょっとした事件でした。

しかしそこには「無断転載および引用を禁ず」の但し書きがありました。一部には「記事のダウンロードは禁止」と主張していた新聞社も。

引用禁止?
ダウンロード禁止?
…はっきり言って意味が全く判りません。

「転載はともかく引用不可とは?1行も認められないと言うこと?」
「ダウンロード禁止って…技術的に 読む=ダウンロード なんだけど?」

一般ユーザはマスコミの主張に対して釈然としないものを感じてましたが、有料コンテンツを無料で配信してくれてるのだし…という遠慮もあってか時折論争を起こしながらも深く追求されることはありませんでした。

(ネットにおける報道規制やらナローバンドやらの時代背景で、単に紙メディアの優位性が高かっただけかも知れません。)

姐さんトータルニュース社事件です

そうこうするうち、リンクと引用に関する具体的な騒ぎが発生します。1997年6月にアメリカで起きたトータルニュース社事件です。

【memo】

トータルニュース社事件

トータルニュース社が運営するWebサイトにおいて、「リンクの張り方」に問題があるとして被リンク側から異議を起こされた事件。フレーム機能を使って世界中のニュース記事を自社コンテンツに見せかけていた。

リンクを貼る行為自体が著作権侵害になるかが注目されたものの、実際の焦点は商標の不正利用など。(ただし和解につき判例はなし)

この件は和解で収束し、結果的に裁判には至らならなかったはずですが、「よそのサイトにリンクを張る行為」が訴訟沙汰になりかねないことを人々はこのときに知ったわけです。

ともかくこのあたりから「著作者に申し入れのない引用は面倒なことになる」という考えがじわじわ勢力をつけてきたように思います。

マスコミが引用に許諾を要すと考えてる根拠

報道機関が頑ななまでに引用を嫌う根拠について考えてみます。

確かに文芸作品などの場合は引用に一言断った方が無難なケースはあるでしょう。入試問題等に著作が使われて不快感を示す作家がいたりすることから、許諾は受けるべきだと考える人がいるのもわかる。

しかし迷った時は何度でも引用の原則に戻るべきです。

1:出典を明らかに示すこと
2:地の文と引用文を明確に区別すること
3:自分の著述がメインで引用は補助的であること
4:引用する必然性が存在すること

【4番、元記事では深く言及されてませんが著作性判定等で重要なため入れました】

例えば、ある作品の出典を明記した上で同じ文字数引いた文があったとして、それが書評なら まず問題ないし、名言集なら かなり問題がある

ただ著作権は親告罪であることから、「他人の著作に手をつけたなら著作者の許諾をとっておくのが安心」という発想なのかも知れません。

意地悪な見方をすれば、「胸を張って引用と言えないから保険を掛けておく」という思想も見え隠れします。

『「無断引用」が問題視されること』の問題点

繰り返しになりますが、「ルールにのっとった引用」に許可は要らないわけで「無断引用」はコンテンツ業界の慣習的造語と考えます。

符丁(業界用語)の一般化

どんな業界でも特有の慣習は存在しますから、報道機関が著作物を利用するにあたって著者に申し入れるのは理解します。しかし業界外への一般化は無理がある。

報道機関が言葉のプロである以上、そこは明確に線を引くべきです。

「文系だから」は通用しない問題

元記事で言及されてるのは先端科学記事における問題点ですが、文系分野でも引用の要件は基本的に同じはずです。報道に携わる人達が知らなかったなんて言い訳はそれこそ通用しません。

知財一般の扱いを誤認識している可能性にも直結しますし。

追記:画像の無断転載に関する私見

ところで、写真やイラストなど画像に関して「引用」が成立するケースは極めて低いというのが私の立場です。

その画像自体に価値があると思ってコピーした以上、よほど丁寧な解説がつかない限り、文章単体ではコンテンツとして成り立たないだろうというのがその理由。

「無断引用」問題まとめ

1:「無断引用」という言葉はマスコミの業界用語だと思われます
2:業界用語を外で使うと普通ドン引きされるのに叩かれないの変ですね
3:報道機関が引用に無理解とかサイコホラーでしかないです

一個人の認識なので、当時既にデジタルコンテンツ業に従事していた人だとまた違う見方があるかも知れません。

Q&A引用・転載の実務と著作権法第3版 [ 北村行夫 ]
【楽天】
/ 【Amazon】

おまけ1:20年近く自己矛盾し続けてるリンク規定

ちなみに、新聞社のリンクポリシーは各社まちまち過ぎて非常に味わい深いです。

それぞれツッコミどころ満載で、同じ会社でもポータルごとに文言違うし著作権法に違反してると思われる規約も散見されるのですが、引用どころか個別ページへのリンクも認めてない新聞社が未だにあるためご紹介できなくて残念です。

気になる方は「新聞社名 引用」等の検索語でご覧になってみて下さい。

とりあえず「記事タイトルを使って個別ページにリンク貼るな」と主張する新聞社がSNSボタンつけたときは壮大な釣りじゃないかと思いました。

evernote対応してるところとか、使ったら訴えられるんじゃないですかね。

#もちろん一般常識に照らしてまともな規約を掲げてる報道機関もあります。

おまけ2:私も無断引用されました

ワタクシしがない学部卒ですけれども、さっき自分の卒論ぐぐったら国内外の論文に何本も名前載ってて嬉しかったです。

「研究者の少ない分野だから学部でも英語で書け」って言われて、泣きながら書いた甲斐がありました。もちろん連絡は頂いてません。

踊る大捜査線 THE MOVIE【楽天】 / 【Amazon】