災害などが起きたときに千羽鶴を送る習慣がありますが、被災地からは物流の妨げになるのでやめて欲しいという声を良く見聞きします。
他方、祈るしか出来ない状況下で手を動かすことには一定の妥当性があります。精神の安定をはかるための行為について他者がとやかく言う資格はありません。
問題は現地に千羽鶴を送るかどうかです。
いくら無駄だと言われても、気持ちの問題は社会合理性で片付けられないという感情は理解します。
それでもアニミズムとしての千羽鶴を考えたとき、相手方に送るとせっかくの努力が無駄になる気がするので手元で管理することをオススメします。
千羽鶴の思想的起源
千羽鶴が成立するまでの思想背景は割と複雑です。
まず「鶴は千年」という中国の神仙思想が原点にありました。
それが日本に入ってきた際に、紙を神の依り代とする考え方と結びつき、その過程で古くから伝わる千人力思想などの民間伝承を取り込んでいきます。
言葉を介さなくても思念を届ける装置と言う意味で「マニ車」的な側面があるのかも知れません。
紙と神性
神道において紙は神に通じるものとされ、依り代になると考えられています。
紙は、ある目的に用いられる過程で一度でも失敗するとシワや汚れが残ります。そのため、清く穢れのない処女性や完全体を示す象徴と考えられてきました。
千人力思想とは
日本の民間思想に、千人力思想というものがあります。
多くの人から少しずつ生命力を得ることで、一人ではなしえなかった大きな力を発揮することが出来るという考え方です。
戦地に向かう兵士の無事を願った千人針をはじめとして、旅立つ友人への寄せ書きなど各種のお守りにその名残が見られます。
高校野球などに見られる「全校をあげた応援」や漫画ドラゴンボールにおける「元気玉」も千人力思想の派生形と言えるでしょう。
マニ車とは
マニ車とは、チベット仏教に伝わる読経装置のことです。
転経器などとも呼ばれていて、中にお経を入れて回転させると回したぶんだけ読経したことになるというしくみです。
文字が読めない人でも功徳が積めることから、現地で愛され今も受け継がれている文化です。
千羽鶴の歴史的経緯
文化的には古い考え方に根ざしている折り鶴ですが、具体的に千羽鶴が広まったのはそれほど昔のことではありません。転機になったのは戦後のことです。
折り鶴の技術そのものは江戸時代(1700年頃)に確立していたものの、当時は紙が貴重だったことから趣味として打ち込める層は一部に限られました。
つなぎ折り鶴―一枚の紙から折り出す「連鶴」の技 |
千羽鶴とは連鶴のこと
いま千羽鶴というと単体の折り鶴を紐で繋いだものを言いますが、もともと千羽鶴と言えば連鶴のことを指しました。
連鶴とは、切れ目を入れた一枚の紙から羽根やくちばしを介して繋げる折り鶴の一技法です。
折紙の歴史を語る上で欠かせない書物が、1797年に刊行された『秘伝千羽鶴折形(ひでんせんばづるおりかた)』です。本書は連鶴を扱った最古の教本であり、ここで言う「千羽鶴」もまた連鶴を指しています。
ところで『秘伝千羽鶴折形』には百鶴と呼ばれる折り鶴が紹介されています。これを拡張すれば千羽の鶴を折ることも不可能ではないでしょう。
高度に発達した連鶴の技術でしたが、歴史の動乱の影で一度は人々の記憶から忘れ去られてしまいました。再び注目を浴びるようになったのは昭和中期以降、とりわけ広く知られるようになったのは2000年代に入ってからのことです。
私自身が連鶴と出会ったのは80年代、サンリオの児童向け折紙教本で見たのが最初です。当時は小学校に入る前でしたが、高度な芸術性に衝撃を受けたのを覚えています。夢中になって図書館で折紙教本を探しましたが、大人になるまで詳報は得られませんでした。
自分が折った連鶴を大人に見せると一様に驚かれましたし、一般の認知度はそれほど高くなかったと思います。(後に「当時のサンリオ書籍部は先進的だった」と二回りくらい年上の知人から教わりました。)
連鶴史料集 魯縞庵義道と桑名の千羽鶴 (桑名叢書) |
健康と平和を願う千羽鶴の起源
こんにちの千羽鶴の源流を築いたのは戦後間もなくを生きた少女、佐々木禎子です。
彼女が折ったのはノーマル型の折鶴でしたが、物資が乏しい時代だったこともあって紙の確保には苦労したようです。包装紙などから切り出した折り鶴はどんどん小さくなり、やがて爪の先ほどの鶴が折られるようになったと言います。
そこまでして折り上げた理由とは、彼女自身の健康を祈念するためです。禎子の千羽鶴は、自らの闘病生活の合間に折られました。
呪術道具としての千羽鶴
鶴を願いの依り代として考えれば、祈りを込めた鶴は自分の見える範囲に置くのが自然です。実際、禎子の制作した鶴は生前そのように管理されました。
また呪術の慣習に従えば、人に祈りを捧げる場合は相手に知られないようにするのが基本です。百度参り信仰にもある通り、誰かに見られたり口外した場合は願いが聞き入れられないものとされました。
その意味で、制作した千羽鶴を相手に贈るという行為はこの大原則に反します。
せっかくの祈りを自ら台無しにするばかりか、神の依り代でなくなった折り鶴は式神としての手続きが不完全な状態となります。つまり妖獣としての鶴に想定通りの働きは期待できません。
家電で言えば構造上の不良を含んだ状態です。役に立たないうえに相手の活動を妨げるかも知れません。相手に迷惑をかける状態は送り手にとっても不本意でしょう。
もちろんこうした解釈は科学的に見て根拠のない迷信に過ぎません。しかし前近代に一般的だった呪術的観点から見ると、あまりにも矛盾だらけの行為に見えます。
もし古い言い伝え通りに超常的な力が実在するなら、想いを込めた千羽鶴は相手に送るよりも手元で管理したほうがずっと効果が高くなるはずです。どこかのはずみでボタンを掛け違えたように思えてなりません。
満願成就の際は奉納に
甲斐あって相手が快方に向かったときは、願いを聞き届けてくれた神様のもとへご挨拶に伺うきまりです。いわゆるお礼参りというやつです。
供養やお焚きあげを受け付けてるお社へ出向かい、魂を空に送ってもらいましょう。
こうした作業は作った本人がやらないと意味がないですし、場合によってはご祈祷の志が必要になることもあります。お願いだけして後始末を人に押しつけるのは二重の意味で失礼です。マナーはきちんと守りましょう。
おわりに
…というような話を思いついたので、各位ご参考にして頂ければと思います。
作り話というと聞こえは悪いんですけど、個々のエピソードは史実です。無理やり話を繋げるための嘘も盛ってません。
とりあえず折り鶴に関する民俗学の論文を探してみましたが、それらしい先行研究が見つからなかったので「状況証拠的に暫定首位」くらいのことは言っても許されるんじゃないかと思います。
補講:千羽鶴と千人針の違い
【2016/04/25:本章追記】大変鋭いご指摘があったので回答します。
途中で、まさに祈りを込めて相手に贈るものである千人針等が出てくるのは、どうか…? 風柳さんのツイート
縫い目には退魔の効果がある
千人針に使う布はもともと腹巻きです。縫い目を付けようと付けまいと戦地に携帯する日用品でした。それをお守りとして仕立て直したのが千人針です。
縫い目は「目」に通じ、人目をかいくぐって襲ってくる魔物を退ける効果があるとされました。
これと似た発想で「背守り」という習慣があります。人の顔は前にしか目がありません。つまり背中は監視が行き届いてない無防備な状態です。そこで背後から魔物に取り憑かれないようにするため、背中に縫い目を足しました。これが「背守り」です。
特に背守りを施したのは稚児服です。乳幼児の死亡率が今と比べものにならないほど高かった時代、背中に継ぎ目が出来ない子供用着物の構造をかけて余分に刺繍が足されるようになりました。
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ひるがえって胴体にぐるりと縫い目を施す千人針には、無数の目によって死神を寄せ付けない強靱な結界を張るという意味があります。
同様に護符として考えれば、折り鶴にも似たような機能が期待できるかも知れません。ただし布と違って紙のお守りは使い捨てが前提です。切れたり汚れると効力を失うため、複雑な形状のものは長距離搬送に向かないというのも理由の一つ。
あと、式神を使ったお守りは当人が携帯してないと無意味ということになってます。携帯できる形に作り替えたところでやっぱりお祓いは必要ですし。
呪術的な風習について、話の辻褄を合わせたところで詭弁に過ぎないのは百も承知です。
本稿の目的は文化論の一説を唱えることではありません。「有事の限られたリソースを有効に使うにはどうすべきか」という防災学上の問題についての試案です。
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