カリフォルニア娘からの手紙

終末医療の現場を荒らす「カリフォルニアから来た娘症候群」についての個人的なメモ。

カリフォルニア娘からの手紙

医療の業界用語で「カリフォルニアから来た娘症候群(The Daughter from California Syndrome)」なるスラングがあるという。

意識不明や認知症など意思疎通の難しい患者がいた場合、医療チームは患者の近しい家族と治療方針の話し合いを進めることになる。このとき、普段あまり関わりのない遠方の家族が急に現れると厄介だ。これまでケアしてきた家族と異なる主張をしがちなので、現場が混乱する羽目になるという。

この手の面倒臭い親族のことを、アメリカでは俗に「カリフォルニアから来た娘」と呼ぶそうだ。

初めてこの話を聞いたとき、思わず苦笑いしてしまった。この状況は身に覚えがある。実家の親が倒れたとき、私は「カリフォルニアから来た娘」そのものだったかも知れない。

カリフォルニアから来た娘症候群

「カリフォルニアから来た娘症候群」について調べると、典型的な事例がいくつか見つかる。特に終末医療の現場が多い。

滅多に顔を見せなかった遠方の家族に限って、患者が元気だった頃とのギャップに耐えられない。そして死が迫っているという事実を受け入れられずに医者の腕を疑って騒いだり、無茶な延命要求をしがちだという。

結果、患者本人さえ望んでいなかった延命措置が施されて病院と同居家族が疲弊する…というのがお決まりのパターンらしい。

その中でたまたま「医療者や同居家族の愚痴はよく聞くが、一度くらいカリフォルニア娘の言い分も聞いてみたいものだ」という趣旨の書き込みを見かけた。確かに、引っかき回した方の意見はなかなか表に出ないだろう。

我が家の場合は典型例ではないのだが、少し変わったパターンもあったほうが参考になるという話も聞く。世の中には「こんな例もあるのだ」という程度に記録しておきたい。

とあるカリフォルニア娘と代理家族

話は数年前に遡る。

ある日突然、郷里の母が倒れたと連絡が来た。悪い知らせというのはだいたい突然やってくるものだが、実家から勘当されてる私のもとには基本的に悪い報告しか届かない。

なぜ嫌われてるかというと、価値観が違いすぎることによる。

実家の人々は病院が嫌いで、医者から逃げ回るためなら胡散臭いサプリメントや健康茶に何万円だろうと平気でつぎ込む。生活を根本的に改めるという意識がないので、たびたび救急車で担ぎ込まれる事態に陥ってはこってり絞られているようだ。居間には「医者の言うことを信じるな」「○○するだけで難病が治った」系の書籍が大量に並ぶ。

一方の私は総じて医療を信頼しており、このタイプの人達とは会話が噛み合わない。

幼い頃から万事この調子なので「お前を見ていると不愉快だから出て行け」ということになり、以降あまり関わらずにやってきた。両親ときょうだいは頻繁に行き来があり、蚊帳の外にいるのは私だけだ。

カリフォルニアから来た娘の認識

そういうわけなので、救急搬送された母の容態は素人目にも危険な状態に見えた。機械越しの呼気には異音が混じり、押せば破れそうなほどに浮腫んだ体。かつての面影を失った顔は、母だと言われてもにわかに信じがたいほどだった。

「なぜこんな状態になるまで放っておいたのか」とは思ったが、私が言って聞くような相手ではない。なにせ「病院とは金を払ってモルモットになるところ」「薬漬けにされるくらいなら死んだ方がマシ」が口癖の人達なのだ。主治医によると診断が早ければそれなりの治療手段はあったそうだが、たとえ時計を巻き戻したところで提案に乗るかは疑問だ。

そして脳のレントゲン写真が出てきたときに覚悟を決めた。その撮像は、元の暮らしに戻れる可能性が絶望的であることを意味していた。医師の説明に不明な点はなかったし、実際妥当な診断なのだろう。

パニックも起こさず淡々と事実を受け入れる家族というのはそこそこ珍しいらしく、理由を聞かれた。私は少し考えて、長く昏睡状態だった祖母を看取った経験があると告げた。

医師との質疑があらかた終わった頃に、父がようやく口を開いた。そして母の延命を懇願したのだ。正確に言うと延命ですらない。父らは「意識さえ戻れば、いずれ回復して帰宅できる」という前提で話を始めた。

現実の距離と距離感

父らの要求があまりに唐突だったので、思わず頭の中が真っ白になってしまった。ついさっきまで「意識が戻ることはまず考えられない」という主治医の話に相槌を打っていたのはなんだったのか。

そもそも昨日までピンピンしてた人が突然倒れたと言うならともかく、聞けばここ数ヶ月まともに起き上がれないほど不調だったという。

この期に及んで神妙な顔で「目を覚まして」などと手足をさする前に、できることは他にいくらでもあったはずだ。しかし現実問題として、父らは母が倒れたことにショックを受けている。

医師はちらちらと私のほうを見たが、私には父らを説得できるほどの発言力がない。ここで離れて暮らす私が出しゃばっても話が二転三転するだけだ。それでも強い治療には相応のデメリットがあることを伝えてみたが、「おまえは本当に現実的だね」と兄に冷笑された。父らがこの状況を受け入れるにはもう少し時間がかかるのだろう。

「すみませんが、父の希望を優先して下さい」と言って帰ってきた。

alive

結局、母の入院は3年以上に及んだ。

倒れた直後に「この数日がヤマ」と言った医師の言葉に嘘は感じられなかったし、もって一ヶ月だろうとも言われていた。人の寿命というのはそんなに簡単に延びるものなのか。

もちろん父らが母との時間を有意義に使っていたなら別に構わないのだが、ときおり連絡を取ると「仕事中だというのに病院からの呼び出しがちょくちょく来て困る」「危険な状態とか言うのは全て医者のハッタリだ」などとまくし立てるので頭が痛い。

その都度「つまりそれは医療スタッフが優秀と言うことでは」などと返すと、しばらく報告が途絶える。その後も心停止からの蘇生が何度もあった。彼らは母と長く過ごしたいのか、それとも単に生かしておきたいだけなのか。もはやそれすら判らない。

悔恨

典型的なカリフォルニア娘が延命治療を主張するのは、日ごろ看病してこなかった自責の念が原因だという。罪悪感が駆動力であれば、救われているのは患者ではなく本人だ。

思えば祖母が昏睡状態に陥ったとき、実子である父は全くと言って良いほど祖母の見舞いに来なかった。入院先は自宅から徒歩圏にあり、その気になれば毎日でも通える距離だったのだが。

今と違って洗濯の代行が頼めなかった時代、消耗品の補充は母と私が交互に通い続けた。8歳かそこらの子供にとって、緩和ケア病棟に一人でお使いに行くのはかなり勇気の要るミッションだ。ちなみに当時は児童でも入院病棟に余裕で入れた。受付から一番長い廊下を抜けた自動ドアの先に、汚物と消毒薬の匂いがないまぜになった薄暗い空間が広がっている。その一室に、ガリガリに痩せた祖母がいた。

半開きの口から漏れる空気の音も、ぜんまい仕掛けのように震える動作も、私の知っている祖母ではない。大部屋を見渡すと、同室のメンバーが時々違う人と入れ替わる。それが快方に向かう退院でないことは誰の目にも明らかだった。

終末期における幸福とはなんなのか、意識のない人間と死者の違いはどこにあるのか。年端もいかない子供がそんなことを考えるくらいには強烈な日々だった。

だから祖母の葬儀で父がおいおいと声を上げて泣きだしたとき、ギョッとしたのだ。泣くくらいならもっと見舞いに行ってやればよかったのに。

カリフォルニア娘の要因を探る

典型的なカリフォルニア娘とうちの事例を並べると、二つの要素で一致する。

  • 日ごろ患者と疎遠な親族がいる
  • 患者の死を受け入れられない親族がいる

よくあるカリフォルニア娘は両方が一人に集約するケースを想定しているようだが、うちの場合は遠方の私だけが標準治療に合意して揉めた。最も近い立場にいる父が母の現実に向き合おうとしなかったからだ。祖母の時も父は見舞いに来なかった。

ついでに言うと、父自身が倒れたときは父が医師の指示を無視して再手術する羽目になった。この場合、患者の現状に向き合わない家族というのは患者本人を指すだろうか。散々病院の世話になっていながら医師への悪口がエンドレスに飛び出すので理解に苦しむ。

疎遠な家族というのはそれなりの理由があって縁遠い状態をキープしているので、人手が足りないときだけ呼ばれて手足のように動けと言われても無理だ。もともと仲が良かった家族でも、それぞれ独立して交流が減った場合はどうしても意見が割れるだろう。

不断の努力を維持した場合

カリフォルニア娘について考え始めた発端は、親戚が脳卒中で倒れたことによる。

実家と折り合いの悪い私を何かと気にかけてくれる親切な一家で、親の怒りが最高潮だった頃はだいぶ先代のお世話になった。そのような人柄なので、病状を伝えるグループチャットにも全国津々浦々の親族から互いを気遣う投稿がひっきりなしに送られてくる。患者本人を心配する声はもちろん、代表者である長男一家をいたわるやりとりも目立つ。

たまに招かれると本当に気のいい人達ばかりで驚かされる。「皆さん仲が良いですね」と言うとキョトンとされるし、この人達がカリフォルニア娘になるところも想像できない。少し前に先代が亡くなったときも近親者同士がねぎらい合っていて、適切な表現かどうか判らないが「良い葬式だ」と思った。

a.k.a 東京から来た息子

親密な家族とは、物理的な距離を指すのではなく、心のありようを言うのだ。

思わずサミュエル・ウルマンみたいなことを独りごちてしまうが、そもそも有事に一致団結できる家族の方がレアケースだという気もする。

ちなみに「カリフォルニアから来た娘症候群」を日本語にすると、「東京から来た息子症候群」という訳語になるらしい。

カリフォルニアという語感からは「堅苦しい東海岸を棄てて奔放な西海岸の空気をまとった」という印象を受けるが、東京という語感からは「融通の利かない小利口」という悪意が感じられてローカライズのセンスが良い。

結局のところ東京だろうと西海岸だろうと主張に一貫性のない家族がいると誰かしら割を食うという話で、そこに命が絡むと余計にこじれやすくなるのだろう。

だとすれば人生の岐路で肉親と対立するのはごくありふれた事例であり、「カリフォルニア娘の言い分を聞いてみたいものだ」などとのんきに構えている場合ではない。

融通の利かない人間から言わせて貰えば、小さな行き違いも含めた家族間の対立は無数に存在しており、その痛みに自覚的な人間が多ければ大方のやりとりはうまく回る。没交渉な家族の存在に気付かなければ、誰だって予備軍になりうるのだ。