昭和の技術職が「生きがいのない月50万」を貰うということ

「昔は良かった」は大体よくない

昭和の技術職が「生きがいのない月50万」を貰うということ

阪急電車の企画「ハタコトレイン」の中吊り広告が話題…というか炎上している。

働く人を応援する趣旨で掲載された「はたらく言葉たち」の内容が、大衆感覚にそぐわないというのだ。

50万もらって生きがいのない生活

阪急電鉄広報部の発表によると、「はたらく言葉たち」は全部で80パターンくらいあるという。中でも、ネットでやり玉に挙がっていたのは次の一節だ。

毎月50万円もらって毎日生き甲斐(がい)のない生活を送るか、30万円だけど仕事に行くのが楽しみで仕方がないという生活と、どっちがいいか。

作者は80代の研究者とある。この世代が現役だった頃の給与水準は、確かにそんなもんだろう。しかし今の給与体系から言えば恵まれた待遇だという意見も判る。

しかし本稿では、この給与額の妥当性についてジャッジするつもりはない。全ての言葉は、文脈から切り離された瞬間に原義を失うからだ。

昭和の企業体質

「ブラック企業」「やりがい搾取」「これだから老害は」「今の若者は月給30万だって贅沢なのに」いきり立つ20代がそのような感想を持つことは理解する。

ただ、今の80代が働いていた時代をギリギリ知ってる者として、少しだけ補足を加えておこうと思う。

当時、技術の判る執行役員というのは今ほど多くなかった。今も大して多くはないのだが、少なくとも最高技術責任者(CTO)などというポストはそもそも存在しなかった。

物を作る会社なのに、現場出身の管理職がいない。「昇進コースを目指すなら給与は上がるが職種変更、技術部署に残りたいなら給料は頭打ち」みたいな話も良く聞いた。

子供の頃から技術職に憧れていた私は「開発者が薄給なんておかしい」「なぜ技術者の上級キャリアパスが存在しないのか」と主張したが、大人は口々に「現場の人間の扱いなんてそんなものだ」と言って取り合わなかった。

保育園ごろの話なので実際の語彙はもっと幼稚だったはずだが、要はそういう趣旨のことを言った。その頃、お迎えの後は親類が経営する飲食店で夕飯を摂ることが多かった。酒を出す店だったこともあり、様々な業種の大人がグズグズに溶ける様子をそれなりに見てきた。あの時ベロベロに酔っ払っていたおっさん達は、おそらくいま70~80代だろう。

どういう意見が何割だったかという記録を取ってないので話半分に受け取ってくれて良いのだが、少なくともそのような事実があった。

転職が今よりずっと難しかった時代に、技術者の肩書きを持ったまま昇給する道が見当たらない。そもそも就職も結婚も、知り合いの口利きで紹介されることがあった。辞めたら恩師の顔を潰すことになる。もしかしたら母校に迷惑をかけるかも知れない。大げさに言えば、故郷を人質に取られている。

「家族を養うために苦手な人付き合いでペコペコするか、安月給でいいから好きな現場仕事に没頭するか」という二択を迫られることもあったようだ。首尾良く管理職に引き上げられた元同僚への妬みで真っ赤に膨れ上がったり、逆に風船みたいに萎んだ酔っ払いも見たことがある。

作者がどのような意図で書いたのかは判らない。しかしあの酔いどれたおっさん達を思い出すと、例のコピーはそれほど自慢話には思えないのだ。

毎月50万円もらって毎日生き甲斐(がい)のない生活を送るか、30万円だけど仕事に行くのが楽しみで仕方がないという生活と、どっちがいいか。

言葉は、文脈から切り離されると原義を失う。

やりがいを搾取しているのは誰か

冒頭で炎上と書いたが、火の手が上がってから今日でもう3日ほどになる。足の速いネットでは次の話題を求めて鎮火しつつあり、真面目にこの話を論じる人はだいぶ減った。

ただ今さらこの話を蒸し返すことにしたのは、当時の世相を伝える60代以上の人を見かけなかったからだ。私が観測していたTwitterはもともと中高年の割合が少ないのだが、新聞や雑誌の編集長クラスならそれ相応の年齢だろう。

いくつか商業誌の関連記事を目にしたが、「庶民感覚とズレているとしてSNSで批判殺到」みたいな薄いことしか書いてなかった。そんな情報量ゼロの記事は素人だって書けるのだ。人の怒りに油を注いで暖を取るような小銭稼ぎをしてないで、もう少し多角的な視点で建設的な取材をして欲しい。

月給30万が贅沢かどうかはさておき、好きな仕事を続けていくと昇給の道が途絶える(傾向がある)という点で、この80代もまたやりがい搾取の犠牲者である可能性がある。

この推察が正しければ、このエピソードが真に美談であってほしいのは実のところ作者ではない。やりがいを搾取する側だ。

当時の技術者をこの心境に追い込んだ雇用主は問題だが、さらに面倒臭いのはこれを現代の美談に仕立てようとした阪急電鉄なり企画元のパラドックス・クリエイティブ社である。

いつぞやパラスポーツ選手の「障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ」というセリフがイベントのPRポスターになって騒動になったことがある。今回も構造的には全く同じだ。自分を鼓舞するためのメッセージなら感動を呼ぶが、それを大衆向けの標語に使うのは醜悪である。

これを現代の労働賛歌に使うのであれば「やりがいのある仕事にふさわしい給与体系を構築せよ」と叫ぶときくらいだろう。どんな人だって、やりがいのない50万よりもやりがいのある50万の方が良いに決まってるのだ。そういう背景を一切抜きにして薄給を肯定するなら、やはり言葉を切り取った側に落ち度があると言わざるを得ない。

場末の酔っぱらいを見て育った元5歳児の感想としてはそんなところだ。

エリート研究職の世界だとまた別の解釈が可能であれば、証言者の年齢を添えてご一報頂きたい。

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