値引きという意味の「勉強する」の語源を勘違いしてて超ショック

商い用語「勉強する」の由来を勘違いしてました。「さすが上方の客は品がある!」と思ってたのでとても悲しい。

値引きという意味の「勉強する」の語源を勘違いしてて超ショック

上方の商習慣で、値引きを意味する「勉強」という表現がありますね。

この言葉の意味をネットで検索すると「勉強とは無理をすること。商人が無理をすると言えば値段を下げることだから。」…というような説明が出てきます。

私はこれまで、学習で使う「勉強」も商習慣で使う「勉強」も、「強いてつとめる」と書くのは言葉のあやだと思っていました。いわば謙遜表現のようなもので、「勉強」の本質は「自発的に学ぶこと」が根底にあると何の疑いもなく信じてた。

なのにやっぱり「勉強=強いてつとめること」だと知って超ショック。悲しい。泣きそう。

あまりの無念に立ち直れそうにないので、心の墓標を立てておきます。

「勉強」の意味

手元の辞書で「勉強する」を引いてみます。

広辞苑

  • 精を出してつとめること
  • 学問や技術を学ぶこと。様々な経験を積んで学ぶこと。
  • 商品をやすく売ること

明鏡

  • 学問や知識・技術などを身に着けるために学ぶこと
  • 経験をすること。また(将来のためになる)その経験
  • 商人が値引きをすること。値段をまけること

他の辞書も似たような感じです。

これらの表現が示す感情は割とフラットで、「勉強」に「仕方なくやる」というニュアンスは感じられません

「勉強する」私の解釈

一方、私の解釈はこんな感じ。

「勉強」のコアにある概念は「経験による学習」だと思っています。良い経験は技術の向上につながります。技術をマスターすれば次回もっと上手くいく。

技術は自分を助ける知的財産です。何よりスキルアップは純粋に楽しい。

商習慣の「勉強」も同じです。「得難い経験をしたから、感謝の意を表して客にキャッシュバックする」のが由来だと思ってました。

具体的には、客が博識であることが前提です。店主よりもはるかに知識を持っている玄人筋、あるいは商品に注文を付けるけど強い情熱を持ったお客さん。

店側にとっても良質な経験をもたらす客に対して「勉強させてもらった授業料として値引きします」の略だと思っていたわけです。

「勉強する=値引き」になった経緯

でも、国会図書館のレファレンス事例データベースを見たらなんか違った。

商取引の値段交渉の際に互いに「高い・安い。まける・まけない。」等と露骨に言い合ったり、直接的に「値引き」等の表現を遣うのは失礼でもある事から、両者がお互いの立場を尊重する駆け引きの中で「値段を下げて利益が薄くなっても売ります=精一杯無理をする。努力する。」その姿勢・態度を指して「勉強」と間接的な表現がされるようになりました。

…マジかよ。

これまで「まーたネット民は思い込みでテキトーなことを書きよるわ」と鼻で笑っていたのですが、テキトーに思い込んでいたのは私であった。(´;ω;`)

国会図書館のレファレンス事例とは、経験豊かな司書が様々な文献に当たって調べた経緯をまとめたものです。

正解だという保証はないけど、複数の書籍が参照されていて信頼性の高いサイトです。私もかなり信頼してる。

また、「勉強」の由来についても言及されています。

孔子の孫・子思の作と伝えられる『中庸』(元『礼記』の一編)にも見出され、読んで字の如く「強いて勉める」ことで「つとめはげむ。精を出す。努力する。」等を意味し

なんと…。やっぱり「強いて勉める」なんですね…。(´・ω・`)

ただ一つ救いだったのは、勉強の語源として「気が進まないことをイヤイヤする」という表現が使われてなかったことでしょうか。

本来的には、学生が勉強に励むことも、商人が勉強に励むことも同じ意味で、どちらも「精を出してその道に励む」こと

とだけありました。

「勉強」という言葉が値引きするという意味になった経緯のわかる資料はあるか | レファレンス協同データベース

まとめ

「勉強=値引き」という表現に関して国会図書館のレファレンス事例を見て知った情報のまとめ。

  • 「勉強=値引き」の由来を示す文献は少ない
  • 「勉強」という語を作ったとされるのは孔子の孫・子思
  • 「値引き」と「学習」では値引きとしての用例が先
  • 「値引き」という表現は露骨なので間接表現として広まった
  • 日本で「勉強」という語が使われるようになったのは明治以降
  • 「勉強=イヤイヤやること」の記述はなし

語源として「強いて勉める」と読み下されてはいましたが、ひとまずネットでよく見る「勉強とは、気が進まないのに無理にやること」という表現は見られませんでした。

そこは救いだったんですけど、私の解釈である「勉強させてもらった授業料として値引きします」って用例がどこかに書いてないものかしら。

過去、インターネッツによって意味が変化してしまった表現というのはいくつかあります。

例えば「春眠暁を覚えず」の意味は「春の気候が良いので寝過ごしてしまう」が主流ですよね。昔は「春雨に打たれて散ったかもしれない花が気がかりで寝不足だ」って解釈も割と見かけたのですが、最近とんとお目にかかりません。

自説をねじ込みたいわけじゃないんですけど、「店を育ててくれるような博学のお客さん」って昔の富裕層らしさをよく表してると思んですよ。

目を吊り上げて「勉強しなさいよ!」って騒ぐ客とは正反対の品格があるので、どこかにそういう用例が存在していてほしいの。

どこかに信頼できるソースをご存知の方がいたら教えてください。

追記:大阪商人に聞いてみた

【2017-07-19 本章追記】本稿をアップした直後に大阪出身の会社経営者と会う機会があったので「かくかくしかじか」と言ったら、めっちゃ鼻で笑われました。

この場合の「勉強」に綺麗な意味は全然なくて、「値段交渉で根負けして商機を手放すくらいなら採算度外視でコネだけ作るときの泣き言」だそうです。

授業料は授業料でも、痛い目に遭って「授業料だと思って諦めるしかないわ」って言うときの「授業料」と同じ意味。

そうですか…やっぱり無理強いなんですね。

確かに勝手に勘違いしてたのは私なんですけど、関東だと「端数丸めて何か寄越せ」くらいの交渉が関の山だ(と思ってる)から、そこまで値切ることのメリットが相変わらずよくわかりません。

そのお客さんがリピーターになってくれるものかどうかも聞きそびれたわ。

世の中にはいろんな世界があるものです…。(´・ω・`)