「オマエ、薄情者だな」
子供の頃、祖母の葬儀で見知らぬオッサンに突然言われた。
故人と同居していた内孫が、涙の一つもこぼさずお茶汲みしていたのが気に食わなかったらしい。
当時10才だった私は即座に事態が飲み込めず、ただ固まるばかりだった。
葬儀で泣く人・泣かない人
祖母が闘病の末に他界したとき、淡々と弔問客の対応をしてたら「身内で泣いてないのは嫁(=母)とオマエ(=私)だけ。もともと他人の嫁はともかくオマエ薄情だな」とか言ってきたジジイがいたんだけど、週末ごとに見舞ってた自分としては号泣してた人ほど病院来なかったので納得がいかなかった。
— 所長おち (@02320_ochi) 2018年4月17日
何気ない思い出話をTwitterに書いたところ、思いのほか反響があった。
Twitterで数万件のリアクションを貰うことはたびたびあるが、具体的に寄せられたコメントの数で言うと今までの中でダントツに多い。そして同じような経験をしている人が多数いると知り、さらに驚く。
「実際に介護してた人は泣く暇なんてない」
「近しい人は、全部終わったあと一気に喪失感が来る」
「薄情なのはこのジジイの方だ」
「何もしなかった人ほど、これみよがしに泣くのだろう」
「やはり他人は入れず家族葬で小ぢんまりとやるべきだ」
おおむね私に対する同情的な意見でありがたく思う。だが、先のツイートを改めて読み返してみて欲しい。
条件を整理しよう。
平たく言うと、手が付けられないほど泣いていたのは父である。ちなみに父は一人っ子で、故人にとって唯一の実子にあたる。
長く生活を共にしてきたくせに、父は自宅から徒歩20分の病院に通うことをのらりくらりと避けていた。私の記憶が確かならば、2年ほどの入院期間に父が顔を出した回数は、入院手続きも含めてせいぜい2~3回だったはずだ。
贖罪
生前の祖母と父の関係は、お世辞にも良好とは言えなかった。
私には幼くして天に召された長兄がおり、次いで産まれた次兄も極めて病弱だったため、健康方針を巡って大人同士で口論をすることが多かった。
口論と言えば聞こえはいいが、罵り合いといって差し支えない。そのやりとりをつぶさに見ていた末子の私は、「犬猿の仲とはこういう関係を言うのだろう」と思っていた。
そうこうするうちに祖母が入退院を繰り返すようになり、日々の見舞いや消耗品の補充は母と私の担当になった。
今でこそ12歳未満の子供は感染症予防のため病棟に入れなかったりするのだが、当時は呑気なもので普通に入れた。なんなら看護師さんに「低学年なのに一人でお見舞い?偉いね?」なんて褒めてもらえたりもした。
しかし祖母は次第に生気を失い、在りし日の姿とかけ離れていく。仄暗く、耳障りな電子音と消毒薬の匂いが立ち込める病室はいつしか苦手な空間になった。
植物状態の祖母を恐れる自分がひどく薄情な人間に思えたし、父が変わりゆく親を見たくない気持ちも判らないではなかった。それでも私と母は交互に通い続けた。
やがて私が小5の夏、祖母は長兄のいる世界へ旅立っていった。
好きなら好きと、言ってやればよかったのに
葬儀の日、父は子供のように泣いていた。
あんなに罵倒していたくせに、長く見舞いにすら来なかったくせに、今さら泣いて何になるというのだろう。好きなら好きと言ってやればよかったのだ。本当に、何をいまさら。
「オマエ、薄情者だな」
混乱する私の目の前に現れたのが、冒頭のジジイだった。確か祖母方の遠縁だったと思う。
「薄情者」という響きにドキッとした。自分でも情が薄いことは判っている。晩年の祖母と一番長く過ごしたのは自分なのに、楽しかった思い出の一つも出てこない。
消えゆく命の灯から目を背け続けて、突然の死を受け入れられずに慟哭するほうが、よほど人間らしいのかも知れないとさえ思った。
しかし、私が本当に驚いたのはその翌日のことだ。
追憶
葬儀の日に泣きわめいてたはずの父が、一切その事実を覚えていない。丸一日分の記憶がすっぽり抜け落ちている。
記憶とは、かくも曖昧なものなのだ。人は受け入れがたい現実に直面すると、簡単に歴史を捻じ曲げてしまう。だから話が噛み合わないのだ。
これは、強い恐怖体験として私のなかに刻み込まれた。私が知るすべての人は、私が見てきた性格<ではない>可能性がある。私が前日に見た父は一体誰だったのか。
「おばあちゃんを助けて偉いね」と褒められた私と、ろくに見舞いにも来なかった父。だが、愛情の多寡でいえば、おそらく父のほうがはるかに強い。
自分に愛想がないことなど自分が一番よく知っている。それでも、突然現れた見知らぬジジイに文句を言われる筋合いなど何一つない。他にも、喪主の子である私を呼び止めて「香典袋買ってこい、一番安いやつな」と言ってきたオッサンもいた。
若くして夫に先立たれた祖母は、女手一つで父を育てるためにだいぶ苦労したと聞く。親戚中にこき使われて腹立たしかったと言っていたが、なるほど、こういうことなのだ。
だったらなおさら薄情とか言われる筋合いねぇわ。女子供をいびって喜んでるような奴に人を査定する資格なんてない。
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