江東区・夢の島にある東京都立 第五福竜丸展示館に行ってきました。
第五福竜丸が目当てで夢の島に行ったわけじゃありません…というか、正直なところ夢の島に第五福竜丸が展示してあることすら知りませんでした。完全に別件のついでのたまたまです。
展示館への道筋は園内の散策路に小さな道案内が出てる程度で、これまで完全に見過ごしておりました。
「へー、こんなところに第五福竜丸の現物が」くらいのノリで立ち寄ったところ、いくつか意外なことを知ったので感想置いときます。
第五福竜丸が夢の島にある理由
第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)とは、1954年3月1日ビキニ環礁にてアメリカの水素爆弾実験に巻き込まれたマグロ漁船です。
第五福竜丸といえば、広島・長崎に次ぐ被爆の歴史遺産という認識を持っていました。しかし、館内の資料によると初めからそういう扱いではなかったようです。
「第五福竜丸」から「はやぶさ丸」へ
1954年のビキニ事件の後、第五福竜丸の船体はすぐに歴史財として保存されたわけではありませんでした。かといって廃船になったわけでもありません。
第五福竜丸は、事故の後も海に出てたというのです。甲板を張り替え、塗りなおされ、名前さえも変えながら。
もちろん、改造にあたって残留放射性物質の検査などは行われました。そして安全が確認されたのを受けて、完全に別の船へと作り替えられた。
第五福竜丸は、事故後も普通に使われてたんですね。不勉強にも知りませんでした。
夢の島での再発見
「はやぶさ丸」として10年余り働くと、いよいよ老朽化して廃船となりました。
進水から20年。木造船の寿命は長くとも20年ほどということですから、耐用限界まで使われたことになります。
役目を終えた「はやぶさ丸」はスクラップ業者を転々としながら部品を抜かれ、ガラクタ同然で遺棄されていました。その場所が他でもない夢の島だったわけです。
館内には、「第五福竜丸」としての保存を呼びかける当時の様子がパネル展示されていました。
今でこそ歴史遺産として語り継がれてる第五福竜丸ですが、偶然再発見されなければゴミの山に埋もれてしまうところだったんですね。
展示館のオープン
関係者の熱心な保存活動により、夢の島公園に第五福竜丸展示館がオープンしたのが1976年6月。展示館はどことなく90年代風の外観ですが、40年も前に建てられたんですね。結構モダン。
あれ…ちょっと待って。90年代どころか、私が生まれる前の建物じゃない?
夢の島には子供のころからたびたび遊びに来てたはずですが、いつも植物園ちょろっと見た後は葛西臨海公園まっしぐらでした。夢の島にハーバーがあることすら今回初めて知った始末。すみません、すみません…。( ;´Д`)
東京都立第五福竜丸展示館
そんな第五福竜丸展示館の内容ですが、船体といくつかの解説パネルがある程度。ぶっちゃけ見ごたえはそんなにないです。
あんまりあっさりしすぎてたので、ほとんど写真も撮ってないですし。
…というか、入ってすぐ千羽鶴の束が目に飛び込んできたので、反射的にカメラを片付けちゃってました(凄惨な写真がいっぱい飾ってあると思ったの)。
ビキニ環礁事件の解説は当然目立つように並んでるんですけど、順路の真ん中くらいから古い木造船に関する解説が増えて「おや?」って思いました。
途中、職員さんに呼び止められて夏のイベント告知を頂いたんですけど、その内容を見てさらに感心したんです。
第五福竜丸の進水は1947年(当時の船名は第七事代丸)、今年2017年で建造70年になるそうです。そこでこの船の古希を祝って「木造船の技術を伝えよう」という企画やるよ…って内容でした。
まとめ
原水爆の恐ろしさは、忘れてはならない歴史に違いありません。歴史遺産としての価値はもちろん承知してます。
でも現存する大型木造船という「技術遺産としての価値」にあえてフォーカスする館の姿勢も素敵だなって思ったの。賛否あるかもしれないけど、私は好きです。
第五福竜丸に関する情報は、どうしても被爆の記憶とセットで書かれがちです。この視点で切り取ったことを推す人はそう多くないはずなので、声を大にして言っておこうと思いました。
ちなみに入館は無料です。
東京都立第五福竜丸展示館アクセス
都立 第五福竜丸展示館 Official Site
展示館の外観はWikipedia「東京都立第五福竜丸展示館」より CC BY-SA3.0
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この手の題材を扱ってる作品としてはノンポリなレビューが多くてすごく意外。俄然興味がわいて是非観たいのでメモ。
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