不死身の肉体という名の、緩やかな自殺

このたび、すごい発見をしました。怪我をすると痛いんですよ。

不死身の肉体という名の、緩やかな自殺

親の死後たびたび夢に立った「死にそうな目に遭う話」は、近ごろめっきり見なくなった。…が、今度は死にかけた場面を思い出すようになって寝覚めが悪い。

何が違うかというと、架空の夢と過去実際に体験した出来事の違いである。当然、後者の記憶は生々しい。

ヒヤリハット事例

「九死に一生を得る」は大げさとしても、生きていれば肝を冷やすような出来事はたびたび起きる。

ダンプカーに轢かれそうになったり、事故で投げ出されて骨がずれたり、頭から落ちて視界が効かなくなるほど出血したり、意識不明で運ばれたり、近所のアル中にビール瓶を振り回されたり、乗用車に足を踏まれたり、全裸のおっさんに追いかけられたり、喧嘩の仲裁をしていて包丁を突きつけられたり、ネットに書けないものも含めて色々ある。

運転してて物陰からボールが飛び出してきたとか、夜道で黒っぽい服の歩行者が傘を振り回してたとか、工具を使っていて派手に部材が割れたとか、軽い感電のようなヒヤリハットを入れれば枚挙にいとまがない。

少し前に他人が怪我をする場面に居合わせてしまい、これまでの事故の記憶がフラッシュバックするようになった。

危険回避と最悪の結末

とはいえ、これまで色々やらかしてきた割には大きな怪我をしたことがない。

肉がえぐれたり靱帯を痛めたり程度の怪我は今もたびたびやるが、転ぶ瞬間に受け身を取ったりその場で止血や固定を試みるため治りも早い。事故状況なども割と冷静に覚えているので、医師にかかるときも納得のいく検査プランを早い段階で提案して貰える。

ちょいちょい追いかけっこの標的にされるのは理不尽だが、幸いなことにあまり深追いされることもない。

ところが、他人の怪我を間近で眺めて認識が改まった。人は事故に遭うと怪我をするのだ。しかも痛い。

もちろん怪我をすれば痛いのは知ってるし、最悪の場合 命に関わることも理解している。ただ、万が一のときでも適切な対応をとれば最低限の被害で済むと、心のどこかで油断していた。

今までのトラブルが笑い話で済んでいるのは単なる生存者バイアスだ。一歩間違えていれば5回くらい死んでてもおかしくない。過去の事故を思い出してはぐったりすることが増えた。

他人の痛みは分からない(ので痛い)

自分の痛みは当然良く知ってるが、他人の痛みは知りようがない。そして既知の事例には対処できるが、知らないものはお手上げだ。よって自分の痛みは正気を保てる範囲で耐えられるわけだが、他人の怪我は見るに堪えない。

これまで痛みで発狂しかけた経験が数回しかないので、他人が悶絶してる場面を見ると当時を思い出して冷や汗が出る。

そういえば、事故で担ぎ込まれて友人一同から怒られたり心配されるたびに内心「命に別状なかったんだから別に良いだろう、いちいちうるせぇな」とか思ってた。…えーと、本当にすいません&いつもありがとう。

私は「これまで死んだことがない」という成功体験の積み重ねにより、日々のリスクをだいぶ甘く見積もっていたのかも知れない。

アクセルよりもブレーキワーク

「速く走るのに必要なのはアクセルよりもブレーキワーク」

自分の安全管理を振り返っているうちに、モータースポーツでお馴染みの格言を思い出した。これまで自分は無難に暮らしてるつもりでいたのだけれど、よくよく考えると特殊状況に陥ってもあまり性格が変わらないだけでブレーキ踏むのは雑だった。

自分の流血シーンと向き合うのは割としんどい作業なのだけど、走馬灯のような現象は「過去の経験から生きる術を探し出せ」という無意識からのメッセージだという話もある。

実際、生き延びるための教材と割切って考えるようになったら危険回避のシミュレーションとして勉強になったし、動悸も消えた。OSのセキュリティアップデートくらいの役には立ったのだろう。

今のところハードウェアの総とっかえは難しそうなので、向こうしばらくは中身を書き換えながら対応していこうと思う。

皆さまもご安全に。