地上げ屋に家を壊された話

昭和の昔話かと思いきや、どっこい平成のお話です。

地上げ屋に家を壊された話

最近、殺されかける夢をよく見る。

先だって親が永眠し、総資産を洗い出す過程で、ある所有不動産のことを思い出したのが一因だ。

かつてその物件は地上げ屋の標的になり、『ナニワ金融道』ばりの脅迫を受けた末に重機で屋根をぶち抜かれた。それまで、故意にダンプで突っ込むような嫌がらせは都市伝説だと思っていたので、子供心にあれは作り話じゃなかったんだと驚いたものだ。

尻尾をつかめ

正確に言うと、その物件は自宅ではなく親の会社の倉庫だった。

夜間は誰もいないのを良いことに、それはそれは大小さまざまな嫌がらせを受けた。それまで問題がなかったところに降って湧いた設備トラブルの山。どう考えても不自然なのだが、当時は防犯カメラなどの性能も低く、なかなか決定的な証拠が出ない。

両親が徹底抗戦の構えを見せたことで、業者の嫌がらせは徐々にヒートアップしていった。

父母は次第に子供の前で事件の話をしなくなっていたが、相手の手口は巧妙で対策も後手後手に回っているようだった。業者はしつこく罪を問われても、それほど処分が重くならないギリギリの線で攻めているようにも見える。

アナーキー

膠着状態が続いていたある日、建物を壊されたという連絡が入った。見れば穴の径は大きいところで5m近くもあり、明らかに「周辺の整地中にうっかり機械を引っかけた」というレベルではない。

この事件は裁判にまでもつれ込んだのだが、こちらの準備不足で返り討ちにあい結局負けた。

両親がピリピリしているのを横目に見ながら、「喧嘩は手順を踏まないと勝てるものも勝てない」とか「悪事を働く奴は頭が良い」というような感想を持ったことを覚えている。

それと前後して、我々きょうだいも「念のため誘拐を警戒するように」との注意を受けた。結果的に人さらい事案は杞憂に終わったのだが、このとき身につけた尾行を察知する技術は思春期の痴漢対策に思いのほか役立った。

人生、何が幸いするか判らない。

塞翁が馬

なぜ唐突に昔語りを始めたかというと、夢見が悪く精根尽き果てていたところに見ず知らずの人から暴言メールを受け取ったのがもう一つの理由でもある。

その文面は私が過去書いた文章についての口汚い罵り文句と物騒な単語に満ちていたが、どこから突っ込んで良いか分からないほど筋違いの感想であった。

怒りを通り越してがっくり来た。手練れの刺客との交戦はこちらの技術も向上するが、その逆は戦意そのものが喪失するのだ。

そして脱力しすぎて肩の荷が下り、ちょっと気持ちが楽になった。今後は悪夢も減るだろう。

人生、何が幸いするか判らない。