30代前半で生前葬した人から香典返しが届いたので死について考えた

旅と死をテーマにしたエッセイ『メメントモリ・ジャーニー』を発端に、生前葬の意味ついて考えました。

30代前半で生前葬した人から香典返しが届いたので死について考えた

手元に発売前の『メメントモリ・ジャーニー』という本がある。

エッセイストのメレ山メレ子さんが旅と死をテーマにした連載を書くにあたって必要となった経費を有志に募り、そのリターンとして送られてきたものだ。

本の内容は当の連載をまとめたもので、一般的な表現をすると「小口出資者によってプロジェクトを支えるクラウド・ファウンディング」にあたる。

彼女が企画するオーダーメイド棺桶づくりに対する資金提供とリターンの体裁が「生前葬の香典集めと返礼品」という名目だったのだ。

メメント・モリ memento mori

メメント・モリとはラテン語で「死を想え」という意味の警句だが、文化的経緯により表現されるニュアンスは文脈ごとに大きく異なる。

現世の享楽を戒めたり、来世に思いをはせたり、今を楽しめという意味で使われたりするようだ。メレ子さんは「死に至るまでの生」という部分に焦点を当てていた。私も生きてるほうを強調するのに賛成だ。

…などと親しげに書いてるものの、私にとって彼女は「インターネットがなければ知りえなかったすごい人」であって、とても友人と呼べる関係ではない。

メレ子さんが主催するイベントにスタッフとして呼ばれたことがあるくらいで、せいぜいが「よく同じ電車に乗り合わせる顔見知り」といったところだ。

そういう人に対して、企画の支援とは言え香典という形で送金した。このことは、想像以上に尾を引く感情を連れてくることになる。

冠婚葬祭と志

冠婚葬祭の出費と言って思い出すのは、学生時代の友人が結婚したときのことだ。公私ともに複雑な経緯があった旨を聞いていたので、お式には一も二もなく参加した。

後日ハネムーン帰りの彼女から「祝儀の額が多すぎる」という問い合わせの電話があった。

こういうとき学友が贈る際の相場があるのは知ってたのだが、式の規模から言って足が出ることは明白だった。遠路はるばる参列する者への気遣いが嬉しくて、私は宿代含めた経費をすっかり相殺できるだろう額を置いてきたのだ。

その旨を告げても当惑する彼女に「余計なお返しとか要らないから遊ぼうって時は本当に呼んで。多分ちょくちょく断るけど懲りずに誘って。」とだけ付け加えて終話ボタンを押した。

切り際に「絶対声をかけるから」と言ってくれた彼女は今でも不精な私に連絡をくれる。折々に思い出してもらえるのは本当に幸せなことだ。

命日を機に良い旅を

人生の節目を冠婚葬祭に求めるとき、「冠」とは成人式であって「祭」とは広義の法事を言う。

つまり何が言いたいかというと、祭事が儀礼化された現代日本において他人の門出に立ち会える機会というのは驚くほど少ない。特に互いの所属が異なる場合、今後の平安を祈ることができるのは葬式くらいしかないことになる。

生前葬というと「縁起でもない」という人がいたりするけれど、これも祭祀的に言えば新たな旅路の無事を祈る儀式に当たるだろう。だとすれば年忌は新たな誕生を示す始まりの日だ。

しかも年に1度祝うだけの誕生日と違い、命日は最大で毎月偲んでもらえる日…ということになっている。いつか私が完全にこの形を失ったとき、私の存在はどれだけの記憶によって維持されるのだろう。

人が死について思いをはせるとき、人もまたその都度試されている。

私は面白半分に他人の棺桶づくりを眺めていたようでいて、自分の死生観を見せつけられていただけなのかも知れない。

そういえば虚礼以外の何物でもないと思ってた贈答品のお返し文化も、今にして思えば手紙を送り合うための口実に違いない。

「私のことを忘れないで」と正直に言えばいいものを「社会人としてのマナー」などとオブラートに包むから、私のような礼儀知らずには なかなか意図が伝わらないのだ。

人は生きているうちに何度でも死ぬ。それは新たな人生を刻み始めるという点で存外悪いことではない。実在と記憶の境界があやふやであるように、生死の境も多分相当あやふやなのだ。

そして節目節目に大勢でその人を寿げば良い。

既に多くの人によって語られてきた話だけれど、思いがけず腑に落ちたのでここに記録しておこうと思う。

メメントモリ・ジャーニー メレ山メレ子