「アンパンマンのマーチ」が東日本大震災の沈黙を破った意味

「アンパンマンのマーチ」が東日本大震災のあと頻繁にかかっていたことの記録に。

「アンパンマンのマーチ」が東日本大震災の沈黙を破った意味

2011年3月11日に大きな地震が起きたあと、3分もあかずにラジオをつけた。揺れの直後につけたテレビが、街の電気ごと落ちたから。

その瞬間以来、肌身離すことなくラジオを聞いていた。片耳だけふさいだその音に、何度足を止めたことだろう。東北住まいをしてた頃に馴染みだった名と似た音が聞こえるたび、身を固くして、息を潜めてやり過ごした。

そんな日が幾度か過ぎて、動き出すにはまだ少しぎこちない街の中で、不意に聞こえてきたのは場違いなほどに軽快なあのメロディだった。

東日本大震災直後に沈黙を破ったアンパンマンのマーチ

誰もが そらで歌えるほど有名な曲。

楽曲に込められた作者の真意も知っていた。短すぎるイントロから歌声が乗ったときには、もうその場に立っていられなかった気がする。

聞き逃してさえいなければ、震災以降のNHKラジオで、一番最初に流れた楽曲がアンパンマンマーチだったはずなのだ。

アンパンマン

理解していたはずの歌詞が改めて見せる世界の鮮烈なこと。

少し灰色がかっていた視界が、わずかに色を取り戻した瞬間だった。

それから数日後に届いた友人からのメールには「クルマ流されたけど家族みんな生きてるから」って書いてあって、「そっち買い占めとかあるらしいけど大丈夫?」って書いてあって、その頃も日に何回かはアンパンマンの曲が流れていた。

当時連絡を取ってた仲間の中では彼女が一番海沿いだったから、とにかくほっとしたことを覚えている。

DREAMS COME TRUE 『何度でも』のこと

また私の記憶に間違いがなければ、震災後のNHKラジオで最初にかかったポップスはドリカムの「何度でも」だったように思う。

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これもまた、イントロを聞いて胸が張り裂けそうになったものだった。

誰かや何かに怒っても 出口はないなら

何度でも何度でも何度でも立ち上がり呼ぶよ
君の名前 声が涸れるまで

この曲はもともと医療ドラマ『救命病棟24時』の主題歌だった。リリース当時も街中で盛んに流れていて、良い曲だなと思う一方、少し陳腐な歌詞だとも思っていた。

「1万回も挑戦してダメなら、しがみついてないで早く方針を変えると良い。」

それが、この曲に対する私の率直な感想だった。

だが追い求める存在が自分の欲望を満たすためのものではなく、誰かそのものに変わるとき、この詩の世界は一変する。

存在を証すために名前を叫び続けることは、想像してたよりもずっと難しいことだと思い知った。

今も、この歌を耳にすると息が苦しい。

ラジオから波及したアンパンマンのマーチ

震災後に繰り返し耳にした「アンパンマンのマーチ」は、もともとTOKYO FMから火がついたものらしい。

そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
たとえ胸の傷がいたんでも

フラットもシャープもついてない単純な長調。そこに自分もぼろぼろの姿になってなお、脅かされた人達を助けて回るヒーローの姿が重なる。

生前のやなせたかしさんは、絶対的正義とは「ひもじい人を助けることだ」と言っていた。イデオロギーが変化しても変わることのない正義とは、誰かの空腹を満たすことだと。

第二次大戦を、本当の意味で体験した人の言葉なのだろう。

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震災後に光を灯したのがアンパンマンのマーチだったことは、果たして偶然と言えるだろうか。私は、必然だったと思っている。

小さな子供は退屈を我慢できない。そんな一番小さな彼らに最も愛されてるのがアンパンマンだろう。そして天使の笑い声はみんなを幸せにする。

この体験は、ある種の衝撃として私の心に刻まれた。

おわりに

顔も知らないネット越しの友人達は今ごろどうしているだろう。仙台近郊BBSで仲が良かった盲目の彼が、どうか無事でいますように。

生き延びたはずの友人達と、今また連絡が付かなくなってたりするのは 彼らが頑張ってる証拠だと思いたい。

第二の古里への郷愁は、今や あの明るい歌と共にある。生きる喜びと、胸の痛みを従えて。

色々なことに言葉が尽くせないけど、あの灰色の日々に色を添えたのがこの2曲で良かったと、今も心の底から思っている。

2013年10月13日 やなせ先生の訃報に寄せて。

旧題:やなせたかし先生の訃報とアンパンマンのマーチとレクイエム