文系理系という区分で論理性を分けるのはあんまり意味がないと思っています。人文系の学問だって知識体系に従う科学なのだし。
むしろ文系で勉強熱心な人の情報量は驚くべきものがあると思ってるので、自分を卑下する目的で「私、文系なのでw」とか言ってる人を見ると本当にモヤモヤします。
あと「文系も理系もない」って話になると体育会系をバカの掃きだめにする人がいますが、あれも差別なのでやめて欲しい。論理的な人はスポーツも論理にしたがってきちっとやります。
属性ではなく思考パターンで区切る
ある人の得意分野が人文系であるとか自然科学系であるとか、属性で区切るのは実際判りやすいのです。私も便宜的に狭い世界を扱う場合は文系理系って言います。
ただ、それだけだと複数属性を持つ人の説明がつきません。
そこで、私は思考パターンを「論理性の有無と帰納・演繹」で4つのマトリクスを作ってます。
感情的 | 論理的 | |
---|---|---|
帰納的 | 感情的かつ帰納的 | 論理的かつ帰納的 |
演繹的 | 感情的かつ演繹的 | 論理的かつ演繹的 |
帰納と演繹
帰納は個々の事例から一般法則を導くこと、演繹は一般的な原理から特殊解を導くこと。それぞれ「ルール作りがうまい」「ルールへの適応力が高い」などと読み替えても良いかもしれません。
思考パターンの具体例
このチャートにしたがって、具体例を当てはめていきます。
論理的かつ帰納的
論理性があり、帰納的な考え方をする人です。何気ない日常の一コマから新しい法則を導き出せる人。
似たような思考ベースの人であれば思考の経緯を理解出来るのですが、そうじゃない人からは「何でそうなったの???」と言われることもあるでしょう。
実は「論理性」という表現も曲者なのですが、この場合は「言語に置き換えられる法則性」という意味で使ってます。
論理的かつ演繹的
論理性があって演繹的な考え方をする人です。「この状況ならこうするのがベストだろう」というような、特殊解を導く条件がさっと出てくる人。
人に合わせた指導が上手なタイプ。
もっとも帰納と演繹は表裏一体で互いにフィードバックしあう関係なので、どちらか一方と言うことは普通ないです。ただ、人によってどっちが得意かというのはあるように見えます。
感情的かつ帰納的
論理の反対を非論理とすると何だか差別的なので、「言語に依存しない」「感情に訴える」と表現します。
個々の検証はしないものの、提案力は高いので意外とリーダーに多いタイプ。実行力があればカリスマ性も伴います。
感情的かつ演繹的
その時々で話のつじつまが合ってないのですが、その場その場ではすごく的を射たようなことを言うタイプ。
場の空気を読む能力が高いので、気が良いと騙されやすいかも。
人の思考パターンは属性によらない
私が文系理系の枠組みを嫌うのは、属性で分けると複数属性を持つ人の説明が複雑になるからです。私自身いろんなところに首や足を突っ込んでるので、ステロタイプに区切られることには抵抗があります。
ただ、いろんな世界を見て回って思うに、ある人が持つ基本の考え方は違う分野においても基本的に変わらないということ。
膨大なデータから最適条件を見つけるのが得意な人は文芸書もそういう読み方をするし、スポーツもそういうトレーニングをしているように見えるからです。
「理系ならどこの枠に属する」ではなく、「ある枠にいる人が数学や音楽の複数属性を持つ」イメージです。特定の属性で区切ったとき、多くの場合で似た組み合わせを持つ人達のコロニーが見られます。その属性に適した考え方というのは存在するのでしょう。
一方、全然違う枠に同じ属性を持つ人がいる場合もあり得ます。
それは非常に希有な才能かも知れないし、単に向いていないだけかも知れない。おそらく後者の可能性が高そうですが。
経験値で区切る方法
【2016/04/06:本章追記】考え方を網羅しつつ的確に分類するの難しいし、この案が正解だと言うつもりはないです。
ただし私個人は言語に依存しない論理性があると思っているので、直感と思いつきの区別が難しい。両者の違いをうまく明文化できずにいます。一般的には下積みの差で容易に判別がつくのですが、究極的には紙一重なので。
そういう意味では経験値と直行させてみるのも良いかも知れません。
どのように分類するかによっても、その人の思考が見えてきそうです。
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