「慈悲深い性差別主義者」を見極めるたった1つの心構え

「女性は守られるべき」という押しつけと、騎士道的な親切についての考察です。

「慈悲深い性差別主義者」を見極めるたった1つの心構え

コートを預かってくれたり乗り込む車のドアを開けてくれる男性に魅力を感じる女性は多い。たとえ男女平等主義を唱える女性でも…という話を読みました。

「女性は守られるべき」という考えに基づく一連の親切行為を「慈悲的差別」と呼び、繰り返し親切を受けることで男性への依存傾向が強まっていく。ひいてはこの「慈悲的差別」が男女平等を進めるうえでの障害になっている…という内容でした。

慈悲的差別と依存心

なぜ女性は「慈悲深い性差別主義者」に魅力を感じるのか? – GIGAZINE
(男性が女性をエスコートする一連の行動は)一見親切に見えつつも「女性は守られるべきだ」という考えに基づく「慈悲的差別(benevolent sexism)」と呼ばれます。
(中略)
『女性のためにドアを開ける』といった行動は女性から競争力を奪い常に助けを必要にさせる」と述べました。このような一見すると差別に見えないような「慈悲的差別」は男女平等の障害となっているとのこと。

日常的に男性の庇護を受ける女性が自立心を損ねやすいのは全くその通りだと思うのですが、男の人だってコート預かってもらったりドア開けてもらうの好きですよね?それを当然と思ううちに、自分のパンツの収納場所もわからないような依存体質の人間になってしまうわけですよね?

だったら、男も女も関係ないよね?

これは女性特有の問題として扱うよりも、人間全体の傾向と考えたほうがシンプルな結果にたどり着きそうな予感がします。

慈悲的差別と主従関係

また、エスコート的な親切行為と慈悲的差別の混同も気になります。両者がとても近い概念であることは確かだと思うのですが、エスコートの動機はなにも性差別に限りません。

たとえばレストランでギャルソンが椅子を引くのは、金銭の対価としてのサービスです。力配分としてはむしろ主従が逆ですし、女性給仕が男性客を担当することだってあります。両者は似てて被るけど別概念と考えるべきでしょう。

ちなみにエスコートを辞書で引くと保護や護衛と出てきます。これ、保護と護衛でずいぶん「される側」の人物像が変わってきますね。護衛は「守るべき価値のある人物」、保護だと「未熟で弱い人物」というニュアンスを感じます。

たとえば隅々まで行き届いたレストランで、スタッフに尊大な態度をとる客がいると非常に不愉快です。言いがかりに近い理由で当たり散らすような場合は、もはや客ですらありません。

冷静に考えて「守るべき価値のある客」が優遇されるのは当然のことで、もてなせと騒ぐのは未熟な人間のやることに思えます。

慈悲的差別と騎士道精神

最終的に記事は「慈悲的性差別と騎士道精神の区別に混乱する現代女性たち」といった切り口で結ばれていました。

これも男→女に限定すると話が難しくなるので、性別関係なく「弱いものを助ける」に読み替えてみるとスッキリしそうです。

一口に「女性に優しい人」と言っても、「格下の男性に怒鳴り散らす人」もいれば「子供や怪我人にも配慮ある人」などいろんなタイプがいるでしょう。ふわっとした印象だけだと絞り込みが難しい時は、判断材料を増やすと良いです。

まとめ

性差にまつわる社会問題は非常にデリケートで難しいのですが、とりあえず判断に迷ったら「性別関係ない話」として眺めてみるのがいいんじゃないかと思います。

誰かを守りたい気持ちは男性だけの特権ではないですし、なんだったら小さな女の子が幼い弟の手を引いて夕暮れの家路を急ぐのだって騎士道みたいなものですし。

重い荷物を肩代わりしてもらって嬉しかったら、別の機会にお茶でも奢ればよいのでは。役割分担が悪いのではなく、問題の本質は自由度の低さにあるはずです。

それぞれの技術を持ち寄って感謝したりされたりしてれば楽しいわけで、カワイイとカッコいいは共存可能だと思っています。男も女も度胸と愛嬌。( ・ㅂ・)و ̑̑

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非の打ち所がないイケメン彼氏よりも何よりヒロインがイケメンすぎる。イケメンとは何かを考えさせる名作です。(違