「昔は良かった」と言われたときに見ると心が安らぐグラフ

「昔は良かった」と言うひとを望みどおり昔に送り込んでみたいものです。

「昔は良かった」と言われたときに見ると心が安らぐグラフ

便利な道具や仕組みが使えなくなったときに「なければ我慢すれば良い」「だって昔はなくてもやっていけたんだから」という人を見るにつけ胸が痛みます。必要に応じて生まれた技術を我慢すると、誰かにしわ寄せが行きますよ。(´・_・`)

便利な仕組みを放棄する流れは健康面でも良く見かけて、「昔の子供は丈夫だった」とか「昔は風邪ぐらいで休むと怒られたもんだ」などの押しつけにも似たものを感じます。

この手の「昔は良かった」「自然に戻れ」系のお説教でぐったりした時の対処法です。

世界人口の推移

…ということで、近代における世界人口の推移について振り返ってみましょう。元データは国連レポート The World at Six Billion より。実測は1950年以降、過去と未来は推計値です。

戦前の人口は緩やかな上昇傾向にありましたが、太平洋戦争を境に増え始めて1960年代ごろから急な伸びを示しました。周産期をはじめとする医療が充実したこと、化学肥料の発明や品種改良といった農業生産技術の向上が考えられます。※1

ひとことで言えば「現代は、戦前の科学水準では助からなかった人が生きられる世の中」と言えます。

もしも戦前の科学水準の延長だったら

科学の進歩と人口推移

ここで「科学水準が戦前の延長線上である世界観」を考えます。この条件下の人口推移は、おそらく緑の補助線と近い状況になるはずです。2018年の世界人口は25-30億人ほどと推定されます。※2

国連発表による現実の世界人口は70億を超えてますから、もし科学水準が戦前の延長だったら実に6割の人がこの世に存在しないことになってしまう。

妊娠中毒、逆子、ヘソの緒が首に巻き付いた、骨盤より赤ん坊がデカい、母乳の出が悪い、はしかにかかった、風邪を引いた、アレルギー、熱中症、腎臓病、心臓病、脳卒中、癌、栄養失調…なんでも構いません。近年の医療や科学の発達で救われた命は枚挙にいとまがない。※1

今や出産での不幸は極めて少なくなりましたが、周産期医療や母子手帳が整備される以前の乳児死亡率は今の何十倍もありました。団塊ジュニアが生まれるちょっと前の話です。

生まれて間もない長男を亡くした母から「お兄ちゃんがもし生きてたら、あんた産んでなかったと思うわ」と散々言われて育った末っ子としては複雑なところなのですが、やはり櫛の歯が欠けるように小さな子供が死んでいく世の中を肯定する気にはなれません。

もっと古代まで遡る

さて。戦後の飛躍的な技術革新が起こらなかったとすると、世界人口が4割まで落ち込むらしいことはわかりました。…とは言うものの、平均以上の体力があれば、生まれてすぐ死んでしまうことはなさそうです。

しかし戦前の科学水準だって、それなりに文化的な生活を送ることができてたはずなのです。ここはもっとハードモードに振らないと!( ・`д・´)

もしも2000年前の科学水準のままだったら

…ということで、近代科学の恩恵を極力取っ払ってみましょう。

国連の推計によれば紀元前後の世界人口は3億人程度、そこから1000年後でも3.1億人とほぼ横ばいです。よって、この期間に人間の生命力を革命的に増幅する装置は生まれなかったものとみなします。

2000年前の科学力なら現在の推定世界人口は3億程度

つまり生活水準を弥生時代くらいまで落とすと、現代人20人のうち19人は消滅してしまうことになる。

「便利な道具は必要ない」「医者なんか行かなくても治る」ひいては「勉強なんかしなくても死にゃしない」って屈託なく笑えるのは、自分の生存能力が人類の上位5%に入る人だけですょ。(´・_・`)

【2018-10-23:追記】思いのほか反響があるので改めて考えたのですが、弥生時代から平安時代の人口推移が横ばいってのもちょっと話が雑でした。

たとえ世界全体での人口推移が横ばいでも、弥生時代と比べて平安時代の文化水準が上がっているのはほぼ自明です。日本の話をするなら、前近代における国内の人口推移を参照したほうが適切でした。ちなみに近現代の人口推移は世界人口の推移とだいたい相似なので、前近代だけ再考します。

そこで前近代の人口推移について書かれた調査を複数検討したところ、紀元1000年ごろの日本人口は 450-700万人程度とのこと。ざっくり現在人口の1/20という初稿の考察は支持して良さそうです。(社会工学研究所 1974, McEvedy & Jones 1978年, 鬼頭宏 1996年, Biraben 1993 2005, Farris 2006 2009)

問題は弥生時代です。紀元元年における日本人口を出してる研究は2本とも30万人という推計でした。現在の 1/400ですか、だいぶハードモードですね。(McEvedy & Jones 1978, Biraben 1993 2005)

もっとも一人の女性が生涯に出産できる子の数には限界があります。15歳から途切れず35歳まで子を産んだとしても授乳期間はホルモンの影響で妊娠しにくくなりますから、1年おきの受胎と考えて生涯の出産可能人数は10人ちょい。出産まで至らず流産する率が高かったことを考慮するともっと少ない可能性もあります。そもそも35歳まで生きられない人も多かった。つまり集落を維持することさえ難しかったはずです。

この状況で女性をないがしろにしていたとは考えられず、実際に前近代の女性の地位は今よりずっと高いものだったと伝えられています。律令制により兵役の重要性が叫ばれる以前は、しばしば歴史に女性首長の名が出てきますしね。

ついでにいうと、「家が絶える」なんて悠長なことを庶民が気にするようになったのもごく最近のことです。長男長女も自由に生きようぜ。

ちょっと話が逸れましたが、追加考察をまとめます。自分の生存能力が人類の上位5%なら弥生時代でもおそらく簡単に死ぬことはないでしょう。しかし、そもそもこの世に生まれてこれるかどうかがかなり怪しくなってきました。ここから得られる教訓は、「自分より身体が弱い人は積極的に助けていこう」ってことでしょうか。

最強人類が最弱だった時代

中には「20人のうち19人が死んだって、自分は残りの1人になれる自信がある」って人もいると思うんですが、それだけの体力を持つ人でさえ風邪を引いてコロッと死んでしまった時代なのだということを忘れてはいけません。2000年前だと平均寿命だってせいぜい40歳くらいですし。

限界集落は何かとワンオペでしんどいでしょうから、やはりある程度仲間がいた方が生活の手は行き届くはずなのです。そんなギリギリの暮らしの中にあって、たまたま工作がうまい・歌がうまい・薬草を見極められる知恵者がいたからこそ世の中は豊かになったわけですし。

これも極論すると「突出した機能を持つ者でなければ生きる資格がない」みたいな話になりがちなんですが、誰かの良いとこ探しをしてれば存在意義は十分あるので世の中平和に過ごせる気がします。

情けは人のためならず。

何が言いたいかというと「生命力が高い人は科学技術に支えられなくても生きていくことが可能」という認識はだいぶ短絡的で、「生命力が強い人ほど科学技術によってめちゃくちゃ高い下駄を履かせてもらってる」というのが正しい理解です。

盤石の安全圏にいるという地位にあぐらをかいて弱者を攻撃するのは、よほど平和ボケしてるか性格が悪いかのどっちかです。そばにいると命の危険があるので、速やかに距離を置くことをオススメします。

【 更新履歴 】

2018-10-23:「もしも2000年前の科学水準のままだったら」章の後半追記しました
2018-10-23:※1 食糧事情にも言及すべき、とのご指摘を反映しました。
2018-10-23:※2 仮定を前提に解釈すべきでない、とのご指摘も頂きましたが戒めとしておいときます。