【書評】『とんでもない甲虫』をとことん楽しむアイデア集

丸山宗利 福井敬貴 著『とんでもない甲虫』の感想です。プロジェクトXっぽい感じでどぞ。

【書評】『とんでもない甲虫』をとことん楽しむアイデア集

『とんでもない甲虫』が届いた。

NHKラジオ「子ども科学電話相談」でおなじみの昆虫博士、丸山宗利先生の新刊である。今回は共著者に福井敬貴氏を迎え、バラエティに富んだ標本群が自慢だという。

初めに言っておくと、私の昆虫愛はおよそ虫好きとは呼べないレベルだ。スカウター越しにサイヤ人ラディッツと目が合ったら「ゴミめ…」と一蹴されるのは間違いない。ネットで親交のある昆虫猛者たちの盛り上がりを見て「すごい人達がすごいと言ってるのだから、きっとすごいに違いないのだ」くらいに思っている。

昆虫を愛するムシマニアに対して、ニセムシスキゴミスキダマシモドキくらいの距離感がある。なのでガッツリ虫目線の話は愛好家に任せて、ここでは少し異なるアプローチをしたいと思う。

『ツノゼミ』『きらめく甲虫』を振り返る

『とんでもない甲虫』は、これまでに丸山先生が幻冬舎から出した甲虫写真集シリーズの最新作にあたる。『ツノゼミ』『きらめく甲虫』に続く3作めだ。

とりあえず未知なる世界のルールが判らないときは、世界観の近いもの同士で比較するに限る。3冊の特徴を比べることで、それぞれの見どころがあぶり出されるはずだ。

ツノゼミ ありえない虫

【Amazon】ツノゼミ ありえない虫 Treehoppers – Incredible Insects [ 丸山宗利 ] 幻冬舎

表紙の写真からして「なんだこれ」感がすごい。

その特徴的な形状から、生き物アート界隈での人気が高い気がしている。造形作家のモチーフとして、ツノゼミが使われているのをよく見るからだ。

秀逸なのが、左下に掲載された原寸写真である。

「こんなに小さかったのか!」「確かに大型生物でこの構造を維持するのは大変そうだ」「それにしてもすごい撮影技術だ」「これをフィールドで見つけられる目がすごい」などの感想が一気に湧く。

きらめく甲虫

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まえがきページにびっしり並べられた標本一覧の迫力がすごい。この件については以前も書いたが、『世界一うつくしい昆虫図鑑』に対する回答だと思っている。

世界一うつくしい昆虫図鑑 / クリストファー・マーレー

そして随所の原寸大写真に相変わらずハッとさせられる。やはり普段から目が慣れている人でないと見逃してしまうサイズだ。それでいて拡大したときの存在感がすごい。これは「昆虫趣味を始めるならルーペを買え」というメッセージに思える。

Vixen ルーペ

(実際のところ、何かを観察するのが好きな人は拡大鏡を持っていて全く損はない)

個人的に気に入っているのが、標本を照らす光源の配置だ。真上から見たとき右上と左下にハイライトが入っているので、ページをめくったときの動線とマッチしてきらめき度がアップして見える。

ちなみに、このときの書評は幻冬舎の人に見つかり「特設サイトからリンクを張りたい」旨の連絡が来た。長年インターネットに棲息しているとしばしば驚くようなことが起きる。なにせリンク掲載許可を求められるなど実に15年ぶりくらいのことだ。

とんでもない甲虫

とんでもない甲虫 [ 丸山宗利, 福井 敬貴 ] 幻冬舎

以上を踏まえて、『とんでもない甲虫』に対する雑感を述べたいと思う。

Amazing Beetles

英題の「Amazing Beetles」を見て、私は思わず手を留めた。

『Incredible Insects(ツノゼミ ありえない虫)』『Brilliant Beetles(きらめく甲虫)』と来たので、「とんでもない」には「Unbelievable(信じられない)」とか「Unexpected(意外な)」あたりが来るのを想像していた。

もっと言うと次回作に「Graceful(うるわしき)」が来て『甲虫 三部作(BUG Beetles)』が爆誕するはずだったのだが、冷静に考えたら Amazing という小細工なしド直球のほうが愛が深い

トゲアリトゲナシトゲトゲのこと

目次ページの凡例にトゲアリトゲナシトゲトゲが載っているのを見て、私は再び手を留めた。

トゲアリトゲナシトゲトゲは、長い歴史の中で行ったり来たりの進化を遂げた不思議な虫だ。名前の面白さから、昆虫好きのみならず知名度が高い。

トゲアリトゲナシトゲトゲという名称はあくまで俗称ということだが、「トゲトゲのうちトゲをなくした系統が再びトゲを獲得した」という変遷が反映されていて素敵だ。パラジクロロベンゼンといった化学物質名と同様に、名が体を表しすぎる明快さがある。

凡例とは、その図表を代表する顔である。

トゲアリトゲナシトゲトゲのように複雑な背景を持つ虫が取り沙汰されているのであれば、不思議な造形に秘められた生態や進化の過程を想像しながら読み進めるのが良さそうだ。

共著者のこと

一通り読み終えたあとがきを見て、私はみたび手を止めた。共著者の福井敬貴氏は、標本提供や撮影にて尽力されたということだ。

福井氏の標本といえば、以前エッセイストのメレ山メレ子さんが主宰する昆虫イベント『昆虫大学』にて展示を拝見したことがある。しかし、なにぶん私には標本の価値がわからない。

ここで本件とは全く関係ない話に飛ぶのだが、先日仕事で出版社(≠幻冬舎)の方と話す機会があった。その中で引き合いに出されたある書籍が、ページ数の割に共著者が多いということで議題にのぼった。それまで私は「ページ数を著者数で割る」という発想をしたことがなかったので、強く印象に残っている。

その意味で、80ページの書籍に共著者が存在するという事実は相応に意味があることなのだろう。

幻冬舎のこと

初めにも述べたが、本書は幻冬舎から刊行された。

幻冬舎と言えば少し前に百田尚樹氏の『日本国紀』をめぐって見城社長と津原泰水氏の大騒動があり、騒ぎに乗じた人々によって続々と不買が叫ばれたのは記憶に新しい。(余談だが、この津原泰水氏がティーンズハートに書いていた津原やすみ氏と同一人物と知ったのが個人的に一番の驚きだった。)

不買を呼びかける人の気持ちも判らなくはないが、どこの組織だって一枚板ではない。実直な人々の仕事まで否定するのはやり過ぎだ。

ところで、前作『きらめく甲虫』には通常のCMYKよりも色域の広い特殊インクが使われていた。RGB原稿の色再現性が高く、昆虫特有の構造色を表現するにはうってつけのインクだと理解している。CMYKに特色を足すのではなく、最初から表現力の高いプロセスインキを使うことで、ニュアンスのある濃淡とクリアな色彩が実現されていた。おまけに印刷線数も類書に比べて多かったように思う。あの驚くべき解像度に息を飲んだ人も多いはずだ。

蛇足ながら、シリーズを通じて書籍価格が据え置きであることも指摘しておきたい。

投稿された時点で、決して騒動が収まっているとは言えなかった。昨今のインターネット事情を考えたら、もうしばらく黙っていた方が得策だったように思える。そこに来て、この内容だ。直接の関係者でもないのに思わず涙ぐんでしまった。担当さんに寄せる丸山先生の揺るぎない信頼がそこにある。

生粋の昆虫ファンでない私には、本書に出てくる標本の価値がこれっぽっちも判らない。それでも、虫の形状や関節のギミックを見て素直に面白いと思った。これは客観的に考えて驚異的なことだ。詳しい人が見たらもっと真相に迫る感想が聞けるのだろう。

いずれにせよ、あの騒動のさなかあって本書は無事我々の手元に届いた。このとんでもないamazing虫たちが、危うくとんでもないterribleことになるところだった。

良かった。なにはともあれ、本当に良かった。

とんでもない甲虫 [ 丸山宗利, 福井 敬貴 ] 幻冬舎

【 更新履歴 】

2019-07-11 表題ちょっと変えました。
旧題:書評『とんでもない甲虫』※昆虫標本の価値が判らない人ver.

おまけ

身近な昆虫観察入門には手すりの虫がオススメ。「図鑑に載ってないけどよく見るあの虫なんなの」が超載ってます。

手すりの虫観察ガイド: 公園・緑地で見つかる四季の虫 / とよさきかんじ