「80%くらいの食塩水を作ってパックするとほうれい線が消える」という美容アカウントの情報を見かけて「えぇぇぇぇ!?」と思ったメモ。
「濃度80%の塩水」をつくりたい
「80%くらいの食塩水を作ってパックするとほうれい線が消える」という美容系アカウントの情報に戸惑う我がTLですが、「食塩水は一般に36%くらいが限度」というツッコミは小学校レベルの常識であって、「300MPaくらいまで加圧すればそれくらい溶けるよ」って返すのが正しい理学徒のあり方です。キリッ
— 所長おち (@02320_ochi) 2019年5月9日
情報発信していたのは2万人超のTwitterフォロワーがいる大きなアカウントです。↓言及元のツイートがこちら↓
精製水100mlに対し、濃度80%くらいであら塩を溶かす。少しジャリジャリするかなって位。それをコットンに浸して、コットンパック。
ほうれい線が気になるなら頬に。
それに以外に大事なのは小鼻に顎。
10~15分後、浮腫みすっきりお肌ツルツル。しかもこんなに安価。是非お試しあれ。
https://twitter.com/__beldad__/status/1114065844252762112
140字に詰め込まなければならないTwitter上の話なので、多少の間違いは気にしません。確かに「濃度80%の塩水」は信じがたい話ですが、話の流れからすると「水100mlに対して80gの塩をぶち込め」と言いたいのでしょう。
一般に食塩は100gの水に対して36gくらい溶ける性質があります。科学的には溶解度と言います。もうちょっと細かく言うと、1気圧・100gの純水に溶ける塩化ナトリウムの量が(25度のとき)35.9gくらい。つまり単位を揃えるのであれば私も「約26%[w/v]」と書くべきだったのですが、元ツイの「水100mlに対して」という表現に引きずられてしまいました。正確にはそういうわけですので、よろしくお願いします。
なお、「水の重量に対して8割の塩」と「80%塩水に入ってるはずの塩の量」の違いは以下の通りです。水の量はどちらも同じ5gですよ。
使った塩はスタッフがそのうち適切な用途で消費する予定です。
傾けるとボリュームの違いが分かるでしょうか。ちなみに、同量の水で飽和食塩水を作りたいときに必要な塩の量は1.8gです。左の山の半分以下。
高濃度水溶液をつくりたい!(熱水編)
たとえば砂糖を水に溶かす場合、常温の水と沸騰したお湯では溶ける量に倍以上の差が出てきます。料理の煮汁に大量の砂糖を入れると、加熱と共にみるみる溶けていきますね。
一方、食塩の場合は相手が水だろうとお湯だろうと溶ける量にあまり差が出ません。溶媒としての水を沸騰させても、余分に溶ける塩は微々たるものです。
ちなみにこれを「小学校レベルの常識」と書いたところ、全く知らない人から「確かに小学校で習うのかも知れないけど、こんなふうに知識をひけらかすやつ嫌い」とか言われてしまいました。私がこういうときに履修学年を書くのは、自慢じゃなくて「詳しく知りたい人は○年生の教科書で学び直せるよ」という趣旨のリファレンスガイドだったりします。
高濃度水溶液をつくりたい!(高圧編)
たくさんの物質を水に溶かしたいとき、水温を上げるほかに圧力を上げるという手があります。常圧と高圧下で、驚くほど性質を変える物質は多数知られています。
深海探査で知られるJAMSTEC(海洋研究開発機構)によれば、あの固いカニの殻だって高圧環境下だと水に溶けてしまうそうですよ。
エノキは煮崩れるのか? ― キチンが超臨界水中で分解される様子を高解像度顕微鏡で観察 ―<プレスリリース<海洋研究開発機構 | JAMSTEC
そこで高圧環境下における食塩溶解度の変化を調べたところ、以下の論文が引っかかりました。
Solubility of sodium chloride in water under high pressure – ScienceDirect
グラフの縦軸がモル質量となっており門外漢には判りにくいのですが、300メガパスカル・摂氏25度のとき水1Kgに対して塩6.7molくらい溶けるそうです。常温常圧で溶ける塩が6molちょい(=350gくらい)ですから、普通に塩水作る場合と高圧下では溶ける塩の量が1割くらいしか変わらないことになります。マジかよ!…縦軸の原点付近が省略されてたので読み違えました。
そういえば「超臨界水にも食塩はそれほど溶けないんですよ」って以前JAMSTECの先生に聞いたことがありましたね…。(´・ω・`)
ちなみに地球上で一番深いマリアナ海溝の水圧が100MPaくらいですから、300MPaはその3倍深度に相当します。地底人もびっくりだ。
濃い食塩水は美肌に効くのか
…とはいえ!本稿の目的は!科学的に正しい80%食塩水を作ることじゃ!ないんですよ、奥さん!
一応わたくしも美容と健康にはそれなりの興味がありますので、80%食塩水()の審美的な効能について考えていきたいわけです。
塩スクラブマッサージ
まず、元ツイートの意図が「塩スクラブの作成」である可能性について考察します。
飽和食塩水を作りたいだけなら、100mlの水に対して塩40gも入れれば十分なはずです。しかし「少なくとも80g以上の塩を入れろ」と言ってるように読める。つまり、溶け残った塩のほうに用がある可能性があります。
市販のマッサージソルトもあまりゴシゴシやると肌を傷めますから、「出来るだけきめの細かい塩を選べ」と言う人もいますよね。飽和量を超えて塩を入れれば、適度に角が取れたまろやかな塩スクラブが手に入るはずです。
だけど、元ツイだと「コットンパックしろ」と言っている。やはり目的は塩スクラブではなく水溶液なんですね。むぅぅぅぅ…。
クレンジング効果
次に、高濃度食塩水を化学的な汚れ落としに使う可能性を考えます。
海洋学を修めた人は一通り教わると思うのですが、海面付近の海水はpH8程度と弱アルカリ性を示します。これを製塩などで煮詰めると、溶液のpHはどんどんアルカリ性に傾くとのこと。
ただし今どきの食塩は海水を原料としたイオン交換法によって塩化ナトリウムを得る製法が主流ですから、この線で調べようと思ったところJTによる「市販の食塩銘柄100以上のpH調査」というのが見つかりました。固体である食塩そのもののpHは計りようがないので、25%食塩水(=ほぼ飽和食塩水)による測定値が載ってます。
すると市販されている食塩で飽和水溶液を作ったときの水素イオン濃度は、おおむねpH7.7~9.6程度とのことでした。つまり弱アルカリ性溶液として古い皮脂汚れに作用し、お肌をつるつるにする効果はありそうです。
ただし、あら塩に多く含まれる塩化マグネシウムは、希釈濃度によって複雑なpH挙動を示します。あら塩に添加されるくらいのマグネシウム量でpHが乱高下することはなさそうなんですが、いずれにせよ安定した性質の溶液を作るためにあら塩を使うメリットがよく判りません。
【PDF】製塩工程におけるかん水・母液のpHおよび塩のpH
【PDF】塩のpHについて
高張液としての食塩水
あと肌に塗る食塩水と言えば、やはり思いつくのはナトリウム温泉でしょう。海水浴もかつては「潮湯治(しおとうじ)」と呼ばれる医療行為だったことは良く知られています。
溶液中のイオンが皮膚表面のタンパク質と反応して膜を作ることから温熱効果があると言われてますが、あまり濃い塩水は文字通りの塩漬けとなり脱水症状を引き起こします。実際、強塩泉の注意書きには「長湯しないように」「肌が弱い人は湯上がりに真水で温泉成分を流して」とか書かれてたりしますし。
塩分濃度が極端に高いことで知られる死海も世界有数の湯治場ですが、「入浴に関する注意書き」がこれでもかと細かく決められています。
Advertencias de seguridad del Mar Muerto【cc-by-sa 3.0】
立て看板には「誤飲したら直ちにライフガードか救急隊を呼べ」との記載がありますね。…何これこわい。高濃度の食塩水は、うっかり飲むと内臓を損傷したり粘膜や目を傷つけることがあります。標準体型の人が30gくらいの塩を一気に取るとシャレ抜きで危険っていいますね(食塩の半数致死量は0.5~1g/kg)。
死海でも、顔にしぶきをかけたりしないよう厳重注意を受けるとのことです。
まとめ
…ということで、状況証拠に基づく個人的見解のまとめ。
結論としては、飽和食塩水を顔に塗るのはオススメしません。ほうれい線が気になるようなら、楽しい会話を心がけるといいのでは。表情筋が動いて血行も良くなりますし。
美容に関する誤った認識は高確率で健康被害と直結するので、よく判らない情報にはあまり安直に飛びつかないようにしています。
特に、ごく短い情報の中に明らかな誤りを見つけたときは要注意です。経験上、周辺に胡散臭い情報が30匹くらい隠れてますね…。(´・ω・`)
私も塩の専門家じゃないのでおかしなことを言ってるかも知れません。心配ならもっと詳しい人をを捕まえて聞いて下さい。
コメントをどうぞ(´ω`*)