人間もバグる

ぶぐばぐぶぐばぐみぶぐばぐ

人間もバグる

父が緊急の手術を受けることになった。一日がかりの大手術と聞き、早朝の電車で片道3時間の地元へ向かう。

「やぁやぁ、遠いところを良く来たね」

「良く来たね」もなにも、私は実家から勘当されたことになっている。かれこれ10年以上にわたり、盆や正月はもちろん親戚縁者の冠婚葬祭からも完全に閉め出されてきた。

ところが数年前に唐突に呼び出されて以来、実家で困ったことが起きるたびに連絡が来るようになったのだ。

「家族」の履歴

そもそも、家族との記憶には良い思い出があまりない。

幼いころ、兄を溺愛していた両親は私にほとんど関心を示さなかった。幸い私の面倒は祖母が見てくれていたのだが、安定した預け先が確保できたことで、いよいよ顔を見せなくなった。やがて祖母が入退院を繰り返すようになり、親子で過ごす時間が増えることになる。しかし正直なところ、良く知らない人達が急に現れたという印象しかない。初期の親子形成から切り離されて育った私は、血のつながりがあるとは言っても半分くらい継子みたいなものだ。

私の親代わりだった祖母と両親が不仲だったのも運が悪かったのだろう。祖母の性格を色濃く受け継いだ私は、何をするにも両親と意見が食い違った。

小学生くらいのころ、よく父が「橋の下で拾ってきた赤ん坊だから聞き分けがないのも当然だ」と言っていた。私は密かに「この世のどこかに本当の両親がいるってのも悪くないな」と思っていたが、戸籍を見たら実の親子だったので大変ガッカリした記憶がある。

もっとも橋の下で拾った犬猫だって愛情を注げば心が通っていくわけで、子供が思い通りに育たないのは血のつながりだけが理由ではないはずだ。

やがて自称 繊細な兄が分かりやすくグレた。両親が若い頃に果たせなかった夢を一身に背負わされ、その重責に心が折れたのだ。その点で同情はするのだが、いずれにせよ私に対する暴力は飛躍的にエスカレートした。

父も兄も口より先に手が出るタイプで、暴れ出すと見境がなくなる。どちらも格闘技や武道の心得があり、殴る蹴るの威力が尋常でない。極めつけにパニックを起こした母が「心中してやる」などと絶叫しながら包丁を振り回すことがあり、それをなだめすかすのは私の役目だった。

騒ぎを見かねた近所の人が警察に通報してくれたりもするのだが、肉親と判るや民事不介入で帰ってしまう。あれが民事とは出来の悪い冗談でしかない。

当時は児童福祉の申請方法やら法律関係の新書を調べ漁ったものだが、そのころの社会整備は今以上に不十分であった。子供ひとりの力ではどうすることもできない。家族関係に問題がある知り合いの中には援助交際に走る子もいたが、自分の性格で客商売は難しいだろう。授業料減免制度でも使って学校に通い続けたほうがまだ希望がありそうだ。

しかし私が生存権だ何だと小賢しい知恵をつけるようになったのが気に入らなかったらしく、そのうち勉強すること自体を邪魔されるようになった。衝動的に退学届を出されたことも何度かある。高校のとき担任の先生に呼び出されて事情を説明したところ「退学届なんか絶対に受理しないし必ず卒業できるから安心しなさい、きみは勉強を続けるべきだ」と言ってくださって本当に救われた。

学校で号泣したのは後にも先にも一度きりだ。

家庭内暴力を知った周囲の大人が結果的に児童を追い込んだとか言う報道を見聞きすると、今も胸が張り裂けそうになる。

disown

心身ともに限界を感じてきたので、進学を機に家を出た。母からは「お前が一人暮らしなど無理に決まっている」「家事の苦労を知れば親への感謝も生まれるだろう」としつこく言われたものだが、あいにく小さいころから家事は一通りやってきた。むしろ1人分の炊事や洗濯は量も少なく、生活に費やされる手間はだいぶ減った。

「ただいま」というかけ声も、一人暮らしを始めてから身についた。帰宅したことを家族に気付かれぬよう、こそこそ忍びこむ必要がないからだ。居留守がバレてベランダ伝いに脱走する必要もない。

I’m home.ただいまとは本当に素敵な言い回しだと思う。安心して帰れる場所をホームと呼ぶのだ。

そんなこんなで一人暮らしを満喫していたところ、いつしか「実家に寄りつきもしない親不孝者」という扱いになっていた。授業は真面目に出ていたし、金の無心もしなかったし、警察の世話になるようなこともしなかったので迷惑などかけてないつもりだったのだが、言われてみれば積極的な孝行もしていない。

そこで重い腰を上げて帰省すると、近況報告がてら延々と愚痴に付き合わされることになる。「家を建て替えたら役所が節税対策を認めないので固定資産税をぼったくられた」とか「仕事で事情聴取されて大変だった」などと言うので、「その節税テクニックは数年前の法改正で使えなくなりました」とか「その状況で管理責任を問われなかったのはラッキーでしたね」などと親身に聞いていたつもりだったが、「親のやることにいちいち反論するとは何事だ」「お前がいると家の和が乱れる」「二度と敷居をまたぐな」、それから言いがかりのような暴言を散々吐かれて一切の連絡が途絶えたのだった。

なんでも「勘当する」を英語ではdisownと言うそうだ。直訳すると「(親の)所有物でないとする」といったところだろうか。私の人生は私のものだ。願ったり叶ったりである。

責任

そんなわけで、生まれてこのかた家族らしい家族関係を結ばないまま現在に至る。

今更「この人達に復讐をしなければ気が済まない」とか了見の狭いことを言うつもりはないのだが、価値観が違いすぎて共感できる要素が何ひとつ見当たらない。

とりあえず彼らは医者が金の亡者だと信じているから、父が入院するにあたって考えを軌道修正してもらわないと困る。家庭内カースト最下層の私が間に入ったところで事態が改善するとも思えないのだが、見て見ぬフリをするよりはマシだ。お世話になっている人々が振り回されているのを看過することはできない。

それに口を開けば他人の文句ばかり言ってるのだが、話を聞く限り論旨がおかしい。こちらの言い分だけしか聞いてないのに、先方に対する同情しか浮かばないのだから大概だ。人の命を危険にさらしている自覚が全くない。訴えられたらまずいんじゃないかな…と思いながら聞いていたら、実際に訴訟だか調停だかに持ち込まれて困っているようだった。

かつて自分にとって脅威だった人達が、自業自得に近い状態で窮地に立っている。本人は自分たちに非がないと心の底から信じており、改心する様子は全くない。このまま黙って好きなようにさせていれば、事態が悪化するのは火を見るよりも明らかだ。

この状況で、手伝いに来いと連絡が来る。助けを求められたわけではない。単に手足として使えそうな駒を見つけただけだ。私を追い出してからは代わりの人に面倒を押しつけていたようなのだが、その人達も軒並み逃げてしまった。一巡して一番近くにいたのが私というわけだ。

よって私が私の意志で動くことは許されない。しかし理由がどうあれ、呼ばれた以上は自分に出来ることをしなければならない。彼らのためと言うよりも、周囲に対する加害を少しでも緩衝するためだ。

だが彼らの自尊心を傷つけないよう細心の注意を払って改善策を提案しても、ことごとく無視される。仕方がないので周辺の根回しや予防線を張る作業に切り替えるのだが、こちらの想定をはるかに超える破壊力で同じトラブルを繰り返す。徒労感がすごい。

本音を言えば関わりたくない。ならば交流を断つしかない。実は向こうからの連絡を差し止めるのはそれほど難しいことではなく、ひたすら合理的で遵法的なアドバイスを続ければ良いことが判ってきた。手を変え品を換え「自分の人生に責任を持て」と言い続けていれば、うるさがってしばらく寄ってこなくなる。

ただ、並べる小言は彼らがとるべき私なりの最善手なのだ。現実に向き合って古い価値観を更新すれば、病気も含めて敵を増やすばかりではなくなるだろう。これは拒絶宣言であり、同時に最後の提言でもある。脳震盪を起こすほど殴られた相手でも、食わせて貰った借りは返さなければならない。

とはいえ拒絶は暗黙のうちに受諾された。手術の経過報告はもちろん、各種問い合わせに対する回答もない。やはり彼らにとって傀儡として使えない人間に利用価値などないようだ。

デバッグ

ひとまず今回の連絡は途絶えたが、またほとぼりが冷めたころに呼び出しが来るのだろう。いずれ訪れるその時のため、新たに知り得た事実を整理しておく必要がある。

しかし彼らとの会話を振り返ると、ほぼ全てがセクハラ・パワハラ・科学的根拠のない妄言・イキリ自慢(と言う名の恫喝行為)のどれかに該当するため、非常に疲れる。

ただし私の場合、長年培った分厚いフィルタによって「より悪い判定」をしている可能性がある。そこで「彼らも決して悪気があったわけではないのだ」という前提で記憶を辿り直してみたのだが、手が震えだしたうえに頭痛・腹痛・吐き気・耳鳴りと次々襲ってきて無理だと思った。

一般にはトラウマとかストレス障害と呼ばれる症状なのかも知れないが、体感的には技術用語としてのコンフリクトに近い。同時に成立しない処理が一カ所に来て、出力が止まる感じと良く似ている。言い換えるなら、私の生命維持において彼らを好意的に解釈することは「拒絶反応を起こしてでも阻止しなければならない危険行為」ということになる。

機械もバグるが、人もバグる。

このエラーを訂正するにはどうしたらよいかと考えたとき、自分が発狂しないギリギリの線を探る必要があると思った。譲歩の限界さえ引いてしまえば、次に関わることがあってもそれ以上深入りしなければよい。

こういう時に仕事が忙しいというのは本当にありがたいことだ。ぐちゃぐちゃに絡まった問題をとりあえず見なかったことにして、建設的な作業をしていられる。

その隙間を縫ってまとめてみた文章がこれだ。自我が保てなくなるエピソードを削るのに3ヶ月かかった。そう言う意味で火種はまだいくらでもあるのだが、うかつに足を踏み入れてはいけない危険地帯を確定できたことは収穫でもある。

遠くで炎に巻かれているのは、かつての私だ。成長と共に散逸していた私自身の屍を集めて、ここに墓標を立てておこうと思う。