長生きの秘訣(ただし人によって命が縮む可能性あり)

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長生きの秘訣(ただし人によって命が縮む可能性あり)

父が緊急の手術を受けることになった。一日がかりの大手術と聞き、早朝の電車で片道3時間の地元へ向かう。

「やぁやぁ、遠いところを良く来たね」

「良く来たね」もなにも、私は実家から勘当されたことになっている。かれこれ10年以上にわたり、盆や正月はもちろん親戚縁者の冠婚葬祭からも完全に閉め出されてきた。

ところが数年前に唐突に呼び出されて以来、実家で困ったことが起きるたびに連絡が来るようになったのだ。

『家族』の定義

驚いたことに、病室には先客がいた。妻に先立たれた一人っ子の父にとって、手術直前の病室に立ち入れる人間は私と兄くらいしかいないはずだ。

ともあれ先客の正体は親戚のおばさんだった。ただし父から見ると姻戚の姻戚にあたり、血縁はない。好意的に解釈すれば見舞いだが、念のため父に確認すると、やはり私が来なかった場合の保険であった。呼び出されたおばさんも手術の付き添いと知って困惑している。丁重にお礼を述べて帰っていただくことにした。

「だって、どうしても身内を連れてこいって言うからよ」ふてくされた様子で父が言う。

どうしても身内を呼べという指示は、それだけ危険な手術という意味だろう。緊急事態が発生した際に、同意書にサインできる人物でなければならない。

容態が急変したとき病院が遠い親戚(身も蓋もない言い方をすれば「法定相続人でない者」)に決断を迫ることは考えられないし、緊急時に兄や私と連絡が繋がるまでモタモタしていたら控えを呼んでいる意味がない。仮にトラブルがなかろうと、朝から晩までうちの事情でよその奥様を拘束するわけにはいかないのだ。

無愛想な私よりも朗らかな女性に優しくされたい気持ちは十分に理解するが、父の要求が結果的に父の最大不利益になっていることを肝心の父本人が判っていない。

さすがに手術直前の患者に向かって意識不明になった想定の話をするわけにもいかず「この場合の身内は兄さんと私を指しますので、都合がつかないときは病院に相談してください」と言ってはみたが、まともに伝わっている気がしない。

退室するおばさんと入れ違いに現れた看護師さんが「あれ、今の方は付き添いと聞いてましたが?」と言うので、私が続柄を説明すると「何故そんな方が…???」と怪訝そうにしていた。

ですよね、私もそう思います。

医者嫌い

父は…というか、うちの人達は医者が嫌いだ。実家の本棚は「病院に行くと殺される」「奇跡の○○茶でガンが治った」系の書籍であふれかえっていた。

私の知る限り両親は定期検診すらまともに受けてなかったので、父経由で受け取った分厚い治療計画書に「今回の手術では根治しない」「つーか、そもそも治る見込みが全くない」「今後一切の治療は対処療法に過ぎない」「もっと早く治療を始めてれば進行を遅らせる方法がいくらでも選べたのに」などの記述で埋め尽くされていたことは驚くに値しない。

もちろん実際はこんなあけすけな表現ではなくやんわりとした事実が書かれているのだが、父がこの難解な技術文書…というか「病状という名の現実」に向き合ったかどうかは謎だ。

とりあえず仕事の引き継ぎ状況について聞いてみたところ、あっけらかんとした顔で「そんなの必要ないよ。来週には退院できるんだろ?」とのこと。治療計画によると半月程度で退院できるのは「全ての経過が最も順調な場合」とあるのだが、本人はすっかり最短で復帰するつもりでいる。

その後も報告書を読み進めていると、静寂に耐えかねた父が「検査、検査で参っちゃうよ」「俺は全然元気なんだ」と手足に負荷をかけてしきりに健康をアピールしてくる。しかし病気の影響で血圧がかなり高く、自己流のトレーニングは危険だ。ひとまず「療養士さんの指示を待ちましょう、今は科学的にリハビリ効果の高い運動が研究されてますから」と制止したが、「医者のいいなりになってたら寝たきりになっちまう」とスルーされた。後で病院からも注意して貰った方が良さそうだ。

確かに年齢の割には筋肉質で丈夫そうに見えるのだが、袖口からのぞく皮膚には点々と炎症の痕跡がある。確かある種の内臓疾患にこんな症状があったような…と思っていたら、それらしい病名もついていた。いつぞや倒れたときは別の臓器が原因だったはずなので、報告書にずらりと並んでいる複数の病名もこれが全てではないのだろう。

確率統計

それにしても、父の余裕はどこから来るのか。今回の件で最初に兄から電話が来たとき、心臓を止める手術の割には成功率が高い気がしていた。そもそも手術計画書に「手術の成功率」なんてキーワードは一言もでてこないし、楽観視できる要素だって見当たらない。モヤモヤしながらページをめくっているうちに理由を察した。

兄らが「手術の成功率」だと言っていた数字の正体は、どうやら「1から死亡率を引いたもの」だ。それなら納得がいく。しかし同時にそれは「手術が直接の死因とならない確率」であって、一般人が考える「手術の成功」というニュアンスからはそれなりに遠い。

手術がうまくいっても合併症によって日常生活が難しくなる可能性はいくらでもあるわけで、一時的な経過観察も含めれば入院期間が延びる可能性は十分にある。…というか、列記された「頻度の高い合併症」を全て避けて通るほうが難しそうだ。

インフォームドコンセント(とは…)

この治療計画書はインフォームドコンセントの資料を兼ねていたらしく、予期される危険性の項目にはあちこち走り描きの図や強調線が引かれていた。つまり医師はそれなりの時間を割いて、治療方針の詳細な説明をしてくれたはずなのだ。おそらく途中で怖くなった父か兄が、情報の断片を繋ぎ合わせて都合の良い解釈をしたのだろう。

手術前の父を不安に陥れても仕方がないので訂正はしないのだが、もしこれでトラブルがあったら「話が違う!」と騒ぐ気がする。

そうこうするうち、いよいよ手術室から呼び出しが来た。しかし父はスタッフから指示されたことの意味が判らず、何度も同じ注意を受けている。…それは長時間の手術に必要な管を通すための準備ですよ。手術概要にも書いてあったでしょう。

なぜ一時間前に父の病名を知ったばかりの私が術式に詳しくなっているのか。いずれにせよ父が病院側の説明をろくすっぽ聞かず、同意書をまともに読まないままサインしたことが良く判った。

主治医のためにも手術が成功することを祈るばかりだ。

責任の所在

かくて、手術はうまくいった。仕事で遅れてきた兄を交えて、医師の説明へと向かう。

初めて会った主治医は、質問に対して根拠を示す人だった。しかも言葉を選んでいる割に回答が早い。似たような症例の執刀経験が多いのだろう。何より8時間近い手術の後だというのに疲れを見せない。超人だ。

しかし、兄はこの医師にご不満の様子である。

兄は思い込みが激しく、些細なことですぐに不信感をあらわにする。これまでも病院側の態度が気にくわない、ネットの評判が悪い、などと言っては一方的に両親を転院させてきた。今回もすでに他院から移ってきたと言っている。

兄は信じていないのだ。地元は深刻な医師不足にあると私が言ったのを。ここは全国的にも有数の都市部という扱いになっているが、住民当たりの医師数で言うと全国屈指の医療過疎地にあたる。キャバクラ感覚で気ままに指名替えなどすれば医療難民になるだけだ

もっとも私は実家に関してノータッチ…というか、いよいよ困ったことになるまで私のところには一切連絡が来ず、状況を把握しようとすると連絡が途絶えるので、基本は当事者同士でやっていただくしかない。

とりあえず「あの執刀医はおそらく場数を踏んでいる」「具体例もぽんぽん出てくるから論文とかすごい読んでそう」「モニタから目を離さない医者が多いなか、ちゃんと私達を見て喋ってたのでたぶん良い人」と言ったら、だいぶ機嫌が良くなった。

役回り or 立ち回り

いずれにせよ、手術はひとまずうまくいった。本当に良かった。

なにせ私は何も知らされていないのだ。既往歴も、普段の生活習慣も、本人達が今後どうしたいのかさえ、聞いてもまともに答えない。日ごろ交流のない私に命を預けたくないならそれで一向に構わないのだが、だったらどうしてこの緊急事態に私を呼ぶのか。

私だって日帰り手術の付き添いだったら黙ってロビーで待ってるが、生きるか死ぬかの瀬戸際ばかり連絡が来て「とにかく今日明日中にこっちまで来て医者の話を聞いてこい」と言われたところでクソの役にも立ちはしない。「なにか希望があれば病院側にうまいこと伝えておくから」と言っても話をはぐらかされる。

母が昏睡状態になったときもそうだ。「今後の役割分担について話し合おう」という私の提案は「先のことなど判らない」という理由で早々に却下され、結局のところ予見されていた問題で右往左往する羽目になった。

もちろん、重大な決断を理詰めで整理出来る人間ばかりでないことは承知している。だからこそ「2人の意見を尊重したいので今後の希望があれば教えて欲しい」「術後はなるべく自宅で過ごしたいとか、そういうふわっとした要求で良いから」と再三言っているのだが、「まぁまぁ、とりあえず手術が成功したんだから良かったじゃないの」と決定を先送りにされた。

生存者バイアス

結局のところ、父は再び手術することになった。

なんでも患部の周辺組織が裂けたのだそうだ。どうやら医師に内緒で動き回ったことが原因らしい。しかも前回と同規模、あるいはそれ以上の大手術になるという。父の行動パターンは病院側にも伝えていたが、まさか白髪交じりのジジイが手術の縫い目も塞がらないうちにハードトレーニングを始めるなんて普通は考えもしないだろう。

兄は「一度成功してるし、まぁ今回も大丈夫でしょ」と軽いノリで報告してきたが、「切って繋ぐ」より「裂けたのを繋ぐ」ほうが格段に難しくなるものだと思う。

そして当然のように再手術も付き添いに来いと言ってきた。今度こそ緊急時の要望を聞いておかないとまずい気がするのだが、いつも通りに返事はなかった。

ならば医者に確認を取るしかあるまい。

「付き添いに呼ばれた患者の実子ですが、普段遠方に住んでるため父の現状を把握しておりません。治療に関する合意は、父と家計を共有する兄の指示を仰ぐ必要があります。身元引受人もこの兄です。もし手術中に緊急対応が発生した場合、兄とすぐ連絡がつく状態にしておいたほうが良いでしょうか。ちなみに母は他界しており、私と兄以外に独立した3親等以内の血族はいません。」

結論から言うと、父への付き添いは任意になった。兄は何が起きたのかと首をかしげていたが、実利的に見て私は家族でないと判断されたのだ。これでおばさんが呼び出されることもなくなるだろう。

ここしばらく女子高生みたいな頻度で送られてきていた兄の愚痴も、これを機にパタリと来なくなった。

長生きする秘訣()

再手術の成功を知ったとき、父はとっくに退院していた。別件で私から必要書類の問い合わせをしなければ、次のトラブルが起こるまで経緯を知らされることはなかっただろう。電話越しの声を聞く限り、大過なくやってるようだ。

ふと治療計画書にあった手術死亡率の欄を思い出した。2回生存率となると単純計算でもそれなりに厳しい数字になるのだが、地雷原をものともせず駆け抜ける強運には毎度感心させられる。

もしかすると、これくらい場当たり的なほうが意外と長生きするのかも知れない。次々と厄災が襲ってくることだって、選ばれし勇者だと思えば武勇伝が増えるわけだし。

ちなみに問い合わせの件は、「わかった」と言われて無視された。実家にとって割と重要な手続きだったので、おそらく来年か再来年あたり面倒なことになるはずだ。そして次に呼び出されたとき、いかに役所の底意地が悪いかについて同意を求められるのだろう。

実家との付き合いは本当に苦手だ。呼び出されるたびに寿命の縮む思いがする。

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医者嫌いの人ほど医者が万能だと思ってる気がします。