阪神・淡路大震災から18年が過ぎました。

その頃、千葉にいました。だけどあの時の揺れは今でも鮮明に覚えています。どちらかというと朝型の自分は、その日も夜明け前から起きてました。
いつもの通り宿題やってると、立ってたら気づかない程度の揺れを感じて時計を見ると5時48分だった。こんな小さな揺れは普通、どんなに長くても20秒やそこらで終わるのにその時は小さなうねりを伴いながら、いつまでも揺れがが止みませんでした。
500Km離れた街で起きてる事態を知るのはそれから1時間後のことです。
その時やっと、さっきの意味に気づきました。新幹線で二時間半かかる場所まで一分で貫いたという力の意味に。
時を経て大学を受ける段となり、専攻として地学を選びました。幼い頃から、本当に地震が嫌いだったので。
自分には往時を伝える経験も現象を解説する能力も何一つ持ち合わせてはいないけどそういう半端者こそ科学を忘れちゃいけないと思ってます。今の科学は地震の発生を止められないけど、かすかな揺れを前にして心底戦慄できるだけの想像力をくれるから。
「その時」が5時48分だった自分にとって5時46分52秒だった人たちの悲しみは永遠に判りません。
だけど、その悲しみを負わなかった者が知り得た事実も少しだけある。
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