親の骨を拾ったが、本当に自分の親か判らない

終末医療にまつわる個人的な記録です。収骨に関する描写があります。苦手な方はご注意ください。

親の骨を拾ったが、本当に自分の親か判らない

母が死んだ。

平均寿命にはだいぶ遠いが、もともと体が弱かったので長生きした方だと思う。

母は、治療法の確立していない特定疾患に冒されていた。いわゆる不治の病というやつだ。いつ幼子を置いて倒れてもおかしくないと言われ続けた人間が、我々こども達の成人を見届け、孫の顔を見るに至り、意識不明で寝たきりになってから3年以上も生きながらえたのだ。

葬儀に来た叔母さん達は神妙な顔で悼んでくれたが、今生の苦しみから解放されたのだから丁重に見送ってやればいいと思っている。

治療方針の決定

話は3年前に遡る。

実家の母が倒れたという知らせを受けて搬送先の病院に向かった私は、その容態を見て事態の深刻さを理解した。

血色の悪い肌、浮腫んで膨れ上がった体、異音の混じる呼吸音。何年か前に会ったときの姿とはまるで別人だった。

父の話では「お母さん、体調不良で倒れちゃったんだよね」という感じだったのだが、見るからにそんなレベルの状態ではない。翌日、主治医に呼ばれて今後の治療方針について相談することになり、ひとまず仕事を休んだ私が話を聞きにいくことになった。

デスクの発光板シャウカステンに広げられたレントゲン写真は、どれも大きなモヤで覆われている。特に脳の形がいびつだ。素人目にも、あまり楽観的な話は聞けそうにない。

倒れてからの処置と現状についてドクターから説明を受けた。既に脳が萎縮しており、仮に一命を取り留めても意思の疎通は難しいこと。内臓や呼吸器もほとんど機能しておらず、現在の危機的状況を回避できたとしても人工呼吸器は外せないだろうとのことだった。

医師は慎重に言葉を選んでいたが、第一印象の通りと考えて良さそうだ。しばらく沈黙があったのち、話が続いた。「今後の治療方針なのですが…」

とっさに浮かんだ選択肢は二つだ。ひとつは、現在の治療水準を維持すること。もう一つは、可能な限りの延命措置を試すこと。

ここで私は、長く大病を煩っていた母の血管が脆いことを思いだした。ちょっとしたことで内出血を起こすし、骨もあまり強くない。この条件で、強い昇圧剤や蘇生術に体が耐えられるものだろうか。心肺蘇生中に肋骨が折れ、気胸でも起こしたら更に外科手術が必要になる。

この期に及んで本人の体に負荷を掛けるのも身内のエゴという気がした。なにせ脆そうな皮膚の内側は浮腫でパンパンなのだ。現状維持と言っても既に体は管だらけだし、おそらく今のままでも十分な対処はしてもらっている。

家族の総意ではないと断った上で、なるべく穏やかな処置を希望すると伝えた。医師は少しホッとしたような表情を見せ、「もちろん最善の方法を尽くします。」と言った。

そのときだ。仕事を切り上げて駆けつけた父がやってきた。「とにかく出来る治療は何でもやって欲しい。」

うつろな目で何度も同じセリフを繰り返す父に、掛ける言葉は何もなかった。次いで現れた兄も、峠を越えれば意識が回復すると信じきっているようだった。二人で母の手足をさすりながら、退院して自宅介護する前提でリフォームの相談まで始めている。

医師が横目でちらりと私を見た。十代で実家を出た私の意思決定権は、残念ながらほぼゼロである。ダメ元で「まだ退院後のことを考えられる段階ではない」「治療法によってはお母さんが苦しむ可能性もある」と言ってはみたが、予想通り却下された。

再び医師と目が合ったので「すみませんが、父の希望を優先して下さい」と言って頭を下げた。

生と死のあいだに

「母の心臓が止まった」と連絡が来たのは、それから3年以上過ぎてのことだった。

入院中に見舞った母の姿は痛々しさを増すばかりで、何が正解だったのかは今もよく判らない。いずれにせよ、これでようやく母も静かな毎日を送れるだろう。

…が。

待てど暮らせど続報が来ない。あまりに何も言ってこないので、こちらも怖くて聞くに聞けない。もともと冠婚葬祭に興味がない人達なので、もしかすると周囲に断りなく密葬で済ませた可能性もある。

結果的に家族からの報告は来るのだが、再び危篤の知らせが入ったのは更に一ヶ月以上も先のことだった。こちらから「非常時は連絡をくれ」と伝えていたが、息を吹き返したので追加連絡は不要と判断したらしい。その後も「危険な状態」「とりあえず持ち直した」という報告が何度か届いた。

息を吹き返したと言っても呼吸器は外せないのだし、意識をなくして3年以上だ。命の焦点はもう心臓が動いているかどうかだけなのだろう。その心臓だって、外部からの電気刺激で筋収縮は起きるのだ。

もはや母の命は何を根拠に存在すると言えるのか。最後の砦が自律的な筋収縮なのであれば、母の実体はカルシウムイオンか何かと言うことになってしまう。

そんな馬鹿な。

シュレディンガーの猫

量子物理学に「シュレディンガーの猫」という概念がある。生と死という矛盾する状態が同時に重なりうることを示す寓話だが、どうもこの「生と死が同時に成立する状態」というのをうまく理解できずにいた。

箱に潜んだ猫の生死は、単に観測者が認識できてないだけだ。生死の事実そのものは、箱を外すまでもなく厳然と決まってるに違いない。

だが棺に収まった母は、化粧も整えられてまるで眠っているかのようだった。入院中に見た鬼のような形相を思い出すと、魂が抜けてからのほうが穏やかな表情でいられるというのも心が痛む。

箱の中に命があるかどうかなんて、フタを開けて観測したって判らない。生死の境界は、想像以上に曖昧だ。

母の正体

お棺の姿があまりに血色良かったので忘れていたが、母は長く寝たきりなのだった。荼毘に付し収骨室に通され、残った骨の量を見て、丁寧な死に化粧をしてもらったのだということを改めて理解した。

享年が近く健脚だった祖母と比べても、残った骨がだいぶ少ない。もっとも、いまどき骨の量は炉の設計によってだいぶ左右されるのだという。だとしても、肋骨や末端、顔などの薄い骨は完全に原形を失っていた。

骨は神経伝達物質の貯蔵庫でもある。体を支える物理骨格であると同時に、生命活動に不可欠なカルシウムを体内で一定濃度に保つ働きを持つ。必要に応じて不足分を補わなければ、骨はだんだんスカスカになっていく。そして、ある程度体を動かさなければ、栄養素はなかなか体の中に定着しない。

この骨量では、もはや命の営みを支えきれなくなったのだろう。生命をつなぐ最後の砦がカルシウムイオンというのも、あながち嘘ではないかも知れない。

堅牢そうに見える骨も、細胞レベルでは日々新しい分子に置き換えられている。その新陳代謝による再構築により、3年もすると骨は完全に新旧の組織が入れ替わると言うことだ。

つまり荼毘に付されたこの骨は、母の構成要素であるにもかかわらず、元気だったころの母を全く知らない。

正直なことを言えばメレンゲ菓子のように崩れる骨を見て複雑な感情が渦巻いたのだが、骨は骨だと思ったら少し気持ちが楽になった。

「死してなお人々の記憶の中で生き続ける」とはよく言ったものだ。人の痕跡は、誰かの記憶の中にしか残らない。最期に見送るその姿を、穏やかな表情にしてもらえて本当に良かった。

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