わたしも、定時に帰りたい ~カースト制と働く権利~

これは定時退勤への道を模索し続けた、ある会社員の物語である。

わたしも、定時に帰りたい ~カースト制と働く権利~

『わたし、定時で帰ります。』という小説を読んでいたら、昔勤めていた会社を思い出してぐったりしてしまった。

この作品の主人公は定時退勤を貫く中堅社員で、ワークライフバランスとは何かについて考えさせる内容となっている。登場人物がそれぞれ長時間労働やダイバーシティ、仕事の能率化などについて模索しながら物語が展開していく。

こういうお語はボンクラだけの集団よりも生産性の高い人物が出てくるほうが読んでて辛くなるのだけど、当然読んでて辛くなるほうであります。つらい。

色々と思うところがあってつらいので、読書中に思い出した話をします。つらい。

カースト制と職業選択の自由

学校の授業でインドのカースト制について習ったとき、確か次のような説明を受けたように思う。

「かつてのインドではカーストに従って働くべき仕事が定められていて、職業選択の自由がなかった」

やがてIT業界に就いた私は、思いのほか周囲にインド人技術者が多いことを知る。そんな話を聞きつけて「インド人は数学が得意だからね」と言う人もいたけれど、違うのだ。

違わないけど違うのだ。

新しい業種はカーストの規制外

近代になって新しく生まれた職業は、伝統的なカースト制の縛りを受けない。IT産業などはその最たるもので、能力さえあれば腕一本でのし上がれるという。

旧来の身分差別は表向き禁止されたが、やはり根深い影響は健在とのこと。実家の立地や名前によって大体の家柄が判ってしまうため、しがらみをふりほどくには国外に職を求めるしかないのだろう。その解の一つが技術者だ。

正確に言うと腕一本というのは語弊があって、栄光のパスポートを手に入れるには相応の学歴(更に言えば目的に沿う学位)が必要となる。結果的として、過熱し続ける受験戦争の噂も聞く。それでも、運命を断ち切る道が存在するのはある種の希望だと思った。

きっと、うまくいく

過熱するインドの学歴社会をユーモアたっぷりに描く話題作。見えない壁に押しつぶされそうになった人は見ると良いよ!

カースト制と働く権利

さて、本題はここからだ。カースト制によって奪われる自由もあれば、それによって守られる権利もあるという。

いつか読んだコラムに、次のようなエピソードが紹介されていた。

とあるインド系オフィスにて、ホワイトカラーの職員がゴミを見つけた。掃除係を呼ぼうと思ったが、すぐ近くには見当たらない。そこで気を利かせて代わりに捨ててやる…のは、明確な禁止行為にあたるという。

チームと個人とタスク処理量とお給料

インドでは、他人の職務を肩代わりしてはいけない。

たとえそれがゴミ拾いのような行為でも、掃除係を雇っている以上、その仕事を勝手に代行するのは相手の仕事を奪うことになるからだ。

私自身はインドへの渡航経験がないので、これらの真偽や細かなニュアンスまでは分からない。

しかしながら「善意からの手伝いが悪になりうる」という価値観にショックを受けた。そして驚きはしたが納得もした。自分の持ち場を離れなければ、他人の権利を侵害しない。確かに職務には忠実であるべきだ。理屈としての筋は通っている。

当時20代前半だった私は、この観点から改めて周囲の労働環境を見渡してみた。

この理屈でいうと技術職採用の職員を同意なく営業に回すのはアウトだし、隣席のナントカちゃんに押しつけられた作業を見かねて手伝うのもグレーと言うことになる。契約外の作業をすると人事の評価査定を乱すからだ。(実際に日本で就労範囲の契約を結ぶことは滅多にないが)

中でも高給取りが単純作業に従事した場合、組織にとって明確な損失になる。

チーム一丸となってタスクをこなしていると、内部構造がブラックボックスになる。いつまで経っても各人の処理能力が可視化されない。逆説的にチーム全体の正確な処理能力もうやむやになる。人手が足りてるかどうかの区別もつかない。有り体に言うと人月計算が機能しない。

歯車がうまく回っているうちは良いのだが、問題は歯が欠けたときだ。補充要員を入れようにも、求める規格が判らない。無理やり似たものを詰め込んでも当然正しく噛み合わない。結果として他の部位にも負荷がかかり、最悪の場合は丸ごと壊れる。

わたしは、定時に帰りたい

以前勤めていた会社で、特定のプロジェクトに属さない期間は人手が足りないときの何でも屋をしていた。

定期的に発生する作業を自動化していたら、やがて「自分で手を動かさないサボり魔」と嫌味を言われるようになった。

私に投げられた作業がすぐに終われば君らだって早く帰れるはずなのに、なぜ文句を言われなければならないのか。最初のうちこそ憤慨していたが、しばらく観察しているうちにあることに気づいた。

私に作業が回ってくることはすなわち、彼らが休憩に入ることを意味していた。しばらくダラダラ出来ると思っていた期待を裏切られたのが不満なのだ。完全にとばっちりである。

水島ぁ!一緒に定時に帰ろう~!!!

だが、とうとう水島(仮名)が定時に退勤することはなかった。

先輩「そもそも、おちさんは早く帰ろうとしすぎなんだよね」
ワイ「私より先に帰宅してる方は他にもいますが…?」
先輩「仕方ないよ、あの人達は外人だもの」

ぎゃぁぁぁぁ、人種差別キター!

外国人技術者は定時退社が認められても、日本人は許されないらしい。日本国憲法とは…。(´・ω・`)

そもそも私が定時に退勤したことなど一度としてない。度重なる同僚の嫌味に耐えきれず、自分の作業が終わったあと細かな仕事を拾ってから帰っていたというのに。

そういえば、外資系企業に勤める知人が言っていた。「うちクライアントから理不尽な苦情が来ても、上司は休暇中ですって言えば何とかなっちゃう。外資だからね。アハハ。」

別に外資じゃなくたって、もともと日本で働くほとんどの職員は無限責任を負う必要などないのだ。やはり外国法人の方が日本法の適性が高い。

日本にありて日本法の及ばない社会…それが日本。治外法権 is つらい。

その土地に蔓延する病理を振り切ろうと思ったら、そこから離れるのが吉なのだ。逃げ切るにしたって相応の技術が要るのだし、その能力を買ってくれる人さえいれば気に病むことなど何もない。

『わたし、定時で帰ります。』 朱野帰子 / 【Kindle】