靖国神社の永代神楽祭に遺族として参列してみた

靖国神社で戦没者命日に行われる永代神楽祭に出席してきたれぽ。写真撮影禁止なのでイラスト交えて書きました。敷地内の遊就館(資料館)の感想と併せてどうぞ。参拝は当日受付でも可能らしいので、信心の有無にかかわらず興味ある方は問い合わせてみては如何でしょう。

靖国神社の永代神楽祭に遺族として参列してみた

戦没者の命日に行われる靖国神社の永代神楽祭というのに行ってきました。

父方の祖父は硫黄島の特攻で命を落としてるんですが、これまで遺族にあたる私が靖国神社に足を踏み入れたことは一度もありませんでした。直接の遺族である父や祖母がそれを望まなかったからです。

もっとも、骨はおろか遺髪の一本も戻らなかった祖父が靖国神社におさめられているという実感もなかったのですが。

それでも写真でしか知らない祖父がどんな風に扱われてるのかなと言う興味だけはずっとあって、通りを挟んで向かいにある武道館へライブを見に行く度にチラチラ横目で気にしてました。

そんな折、ひょんなことから参列のお使いを頼まれたので記録として残しておきます。

靖国神社 境内の様子

靖国神社の街宣車

永代神楽祭は事前に登録されてる遺族のもとへ案内状が届きます。(ちなみに今までお神楽は名簿更新料払ってないと参加できないと思ってたんですが、当日受付でも参拝可能らしいので興味ある方は直接お問い合わせ下さい。)

慰霊に向かった ご命日8月9日は「旧ソ連が対日参戦した日」にあたります。旧ソ連の対日参戦は太平洋戦争の戦局を大きく左右した事件でしたから、街宣車の幟(のぼり)も北方領土関係のものが多めでした。

最寄りの九段下駅から外に出ると日の丸を掲げた街宣車から大音量の演説が鳴ってましたが、境内に進むにつれほとんど聞こえなくなってたのが印象的。

神域

中門鳥居の手前に「下乗」と書かれた板があります。
靖国神社二の鳥居
「これより神域につき、籠から降りて歩きなさい」の意。もっとも、今となってはタクシー乗り場くらいに思ってる人もいるかも知れません。

拝殿

靖国神社拝殿

ニュースなどでお馴染みの拝殿です。

この日は白い幕が掛かってましたが、特別な日は紫の幕がかかるとのこと。拝殿は明治34年(1901)に建てられたもので、通常参拝者はこの場所でお参りします。永代神楽が執り行われる本殿はこの奥にあるので、我々はもう少し先へ。

参集殿に通されて待機

靖国神社参集殿

本殿に昇殿参拝するための受付 兼 待合室が参集殿です。2004年に建て替えられた新しい建物なので、木目も白く部屋の雰囲気も明るい感じがします。

この部屋だけで渡り8間くらいありますが、かなり広めの部屋なのに誰もいなくてびっくりしました。

待合室にて

時間が来るまで参集殿内にある待合室に通されます。100人くらい入りそうな規模の部屋でしょうか。ホールにどなたもいないと思ったら皆さんこちらに詰めていました。

しかし長テーブルにはそれぞれ1~2名ずつ座るのみで閑散とした感じです。ざっと見渡して一番多いのが70代後半くらいの方々でしょうか。戦死した方のお子さんに当たるのでしょう。50歳前後の方はお孫さんかも。

待合室の調度や室礼は地味に良いものが揃ってたように思います。頂いたお茶のコースターが安っぽいプラスティック製で苦笑いしてしまいましたが、慣れた感じの方達が「これいつ来ても変わらないわねぇ。」みたいなことを言ってたので少し気が変わりました。変わらずにいることも「もてなし」の形なのかも知れません。

ちなみに、出てきた麦茶は程よい冷え具合で「昭和のお作法だなー」と思いました。

昇殿参拝

これより先はカメラ撮影禁止につき、全部荷物を置いていきます。さすがというか何というか、鍵つきのロッカーなどはありません。

到着殿からのお祓いと昇殿

本殿へ通される前に到着殿(手水場)にて身を清めます。屋根付きの手水場は良くある光景ですけど、壁のある完全な室内の手水場は初めて見ました。

到着殿から繋がった回廊は、そのまま本殿の中庭が見えるようになっています。回廊の突き当たりで更にお祓いを受けてから昇殿するという流れ。

屋根の妻や擬宝珠の打ち出し処理が工芸品として大変見事だったのですが、お祓いを受けた先はお喋り禁止となってます。

本殿

改修を重ねたとは言っても、明治5年(1872)に建てられた本殿の材は全て黒光りして重厚感があります。本殿の正面には明治天皇が贈ったとされる六尺ほどの大鏡が据えられてます。

その後 神職が祝詞を上げ、巫女さんが神楽を踊り、玉串を捧げて二拝二拍手一拝 黙祷、という一連の神事が行われます。

靖国神社巫女装束

巫女さんは千早(ちはや:上掛けのこと。貫頭衣の名残。)つきの本格的な装束です。額に巻いた麻には思わず釘付けになりました。神事だけに本物の大麻なのでしょう。

巫女さんによる奉納神楽

舞の素養がないので語彙が拙いんですけど、片手に玉串を持って「しゃん」と鳴らしたあと素手のほうも同じような動作をするのが印象的でした。ループによって脳内に「しゃん」を疑似再生させることで会場に一体感を出す効果があるんだと思います。音楽で言うとトランスやグルーヴに近い感じ。

全体の進行は想像してたよりもあっさり目です。能舞台のような張り詰めた感じはそれほどなく、粛々と執り行われている感じがしました。戦没者が遠縁ということもあり、儀式の間は工芸品としての建築や調度品をあれこれ眺めてました。

あとお供物がパイナップルだったんですけど、最近の神事ってパイナップル率が異様に高い気がしませんか?結婚式や地鎮祭に出ると必ずと言って良いほどパイナップル積んでるんですけど。なんだろう、あれ。誰か理由知ってたら教えて下さい。

本殿より下がり、昇殿の時にお祓いを受けた場所で御神酒を頂いてから退出します。

撤下品

待合室に戻ると「撤下品」と呼ばれる記念品が用意されていました。中身はわかめと米とお菓子なり。日々の糧をあらわしてるんでしょうね。

撤下品と遊就館

ほかにお茶請けとして落雁が出されてて、なかなか上品な味でした。常連の参拝者にはお馴染みの定番お茶請けだそうです。

遊就館も見てきた

遊就館は、靖国神社の敷地内にある宝物館です。幕末から太平洋戦争を中心とした軍事資料が多数収められてます。

実はこの日、午後の予定が立て込んでたので併設の遊就館はまたにしようと思っていたのですが、神事の流れに思うところがあり急遽見ていくことに決めました。

入り口付近はガラス張りの明るいホールで、少しだけ無料で見られるようになってます。零戦やら重砲がどどーん。それらに比べると中央奥のC56蒸気機関車がかなり異質に見えますが、上野公園に展示されてるD51と違って時代背景が滲むのがつらい

遊就館 展示物

有料ゾーンの演出

奥の有料部分は撮影禁止につき駆け足で。

世に言われてるよりはフラットな史観に見えましたが、なにぶん戦没者遺族が来るところですし ぺったんこではないです。ただ、人的側面と技術側面を順番に並べることで見る人によってかなり全体の印象が変わる配置だと思いました。

例えば当時の軍事兵器は民間に転用されてるものも多く技術遺産として考えることも出来るのですが、当然兵器そのものでもあります。何げないように見えて、この差はかなり大きい。情報を伝えるとはどういうことか、色々と考えさせられます。

破壊力抜群の土産物コーナー

もっとも、そのあたりの絶妙な構成を吹き飛ばすほど破壊力抜群だったのが土産物コーナーと言えるでしょう。階段降りて売り場が目に飛び込んできた瞬間ちょっと意識が遠のきました。展示部分の真意と距離感を測りながら見てた人ほどやられると思う。

靖国神社に行ってきました感想

祖父のことは子供の頃からずっと気がかりだったので、死ぬまでに一度見といたのはとりあえず良い経験になりました。右や左の旦那様もいっぺん中まで見といたら良いんじゃないでしょうか。

私は団塊ジュニアよりも下の世代にあたり、「戦死した軍人の孫」としてはかなり若い部類に属します。あまりこう言う区分で分類するケースは少ないと思うんですけど、社会科で「祖父母に戦争体験を聞いてこよう」みたいな話になると周囲と認識が合わなかったので意識するようになりました。

親の意向もあって靖国神社に足を運ぶ機会はなかったのですが、親戚筋で支援部隊の士官だったという方に伝え聞く体験談が興味深かった。彼も靖国神社に慰霊が眠ってるとは思ってないのだけれど「関係者が集うための箱」という認識で、それには同意できました。

「うちの参拝日で良ければ今度あなたも一緒にいらっしゃいよ。」
「えぇ是非」

と応えたまま鬼籍に入られて もう5年ほどになります。

その奥様も高齢になり、遠出も難しくなったと言うことで賑やかしに交じってきました。いいのかな?という気もしますけど、息子さんについていく形だったし、私も一応縁者なので許されるでしょう。

ちなみに この日の午後、別件を挟んで帰りに千鳥ヶ淵もちょろっと覗いてきました。身元不明の戦没者が多数眠っている場所です。うちの爺さんも骨のかけらくらいはあるかしら。

結局のところ、やっぱり祖父の本体がどこにあるか良く判らないので 今後も今まで通り自宅から冥福を祈ることになると思います。…南無!(-人-)

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