「この研究は何の役にも立ちません」ってセリフが嫌い

「役に立つ研究」を求める風潮は、十徳ナイフを量産しているようなものだと思います。

「この研究は何の役にも立ちません」ってセリフが嫌い

先日「それって何の役に立つの?」と言う人を撃退したい…なる話を書いたばかりですが、実際のところ妖怪「何の役に立つの?」が滅びる日は来ないと思っています。

先の話は「せめて棲み分けるための効率的な方法はないものだろうか」と言う考察でした。

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懐疑的な人妖怪「それって何の役に立つの?」を撃退したい
おおむね敵意を感じますよね。

もちろん「それって何の役に立つの?」を連呼する人は嫌いなんですが、それに呼応して「こんなの何の役にも立ちませんよ」って言う人もちょっと苦手だったりします。

「役に立つ研究」≠「研究が役に立つ」

このたび東工大の大隅良典 栄誉教授がノーベル医学生理学賞を受賞され、過去のインタビューで次のように発言したと話題になっています。

「日本に必要なのは、社会全体でサイエンスを支えるという意識」- 東工大・大隅良典 栄誉教授 (1) 細胞の自食作用「オートファジー」とは | マイナビニュース

科学はすぐに役に立つものだという認識が、日本には定着しているのかもしれません。私はこのごろ、そういった質問に対しては「役に立ちません」と答えたほうが正しいのではないかと考えるようになりました。本来、科学は科学であって、技術に従属しているものではありません。

ノーベル賞を取る研究をしている人が「私の研究は役に立たない」と言ったところで、謙遜だと思う人も多そうですね。

だけど知的生産活動を基礎研究と応用研究に分けたとき、両者の行動原理はかなり異なる。本人に役立てる気持ちが強くなかったのは実際そうなのでしょう。

厳密なことを言えば基礎があっての応用ですし、完全に切り分けられるものでもありません。どちらにより重きを置くかは個人の興味の問題で、優劣をつける性質のものではないと思っています。

それに社会へのインパクトを考えれば、両輪が揃ってはじめて前に進めるのです。「役に立つ」方にもちゃんと光を当てるべきでは。

分業で広がる可能性

「役に立つ研究」と「研究が役に立つ」ことは似て非なるものです。

「役に立つ研究」は研究者自身が実用化も視野に入れていますが、「研究が役に立つ」は研究してる人と役に立てる人が別であっても構いません。

やや概念がずれますが、「役に立つ研究」は「原作を入れない漫画家」や自分で詩も曲も書く「シンガーソングライター」と似たものを感じます。

もちろんオールラウンドプレーヤーには華がある。だからといって楽曲提供を主とする阿久悠氏のような作詩スタイルに意味がないとは誰も言いません。歌い手の数だけ多様な表現が担保されるからです。

ある研究チームが基礎から応用まで広く手がけていたとしても、そのメンバーが思いつかない奇抜な成果はなかなか世に出ないでしょう。

でもGoogleサービスのように誰でも機能を利用できれば、既存技術の組み合わせで無数の変化が起こりうる。Pokémon Goだって、そんなアプリの一つです。

基礎学問から実学へ

私が基礎学問の世界を覗き見たのは、わずか大学時代の出来事に過ぎません。在学中に没頭していたのは、いわゆる金にならない研究でした。

卒論にも関わらず海外の文献に複数引用されたのが唯一の自慢で、専攻分野を超えて世界に革命をもたらすことなど未来永劫ないでしょう。そんな私が卒業と同時に一般企業の開発職へ。よくある平凡な話です。

在籍していた部署では産学共同研究もやってました。有名大学の先生が学生さんを引き連れてプロトタイプ機の相談に来るんですが、お世辞にもコスト意識が高いとは言えません。こっちはビジネスなのでどうにか飯の種になりそうなネタを探さなければならない。

お互い引かずに強く言い合う場面もありましたが、仲良しグループで解決する問題じゃあるまいし、率直にやりあうしかありません。それで良いのだと思っています。

衝動に駆られて謎を究明する能力と、周辺技術から金の匂いを嗅ぎ取る能力は別物です。

両方いないと回らない以上、必要なのは両者をマッチングする調整システムでしょう。仮に前者が後者を兼ねるケースがあったとしても、特例を一般化するのは無理があります。全員が十徳ナイフを目指す必要は無い。

限られた予算でパフォーマンスを上げるには

平成初期のドラマでは、メーカーの営業と開発が首根っこ締め上げながら

「お前の給料は一体誰が引っ張ってきてると思ってるんだ!」
「何ぃ、こっちのセリフだ!」

みたいなシーンがありました。多かれ少なかれ今でも観測されるでしょうか。

酷いのになると事務や経理さんに向かって「養ってやってる」という態度を取る人もいますね。経費の精算から年末調整から全部自分でやったら生産性がダダ下がるのは明白ですのに。

私が観測する限り、少なくない学者さんが研究費獲得と書類の山に追われながら合間合間に研究しているように見えます。営業も開発も事務も兼任ってことでしょうか。

とりあえず予算が限られてるなら、無駄な書類を減らして渉外担当を置くだけで格段に見通しが良くなるように思うのですが。

事務にしろ開発にしろ「直接お金を引っ張ってこない職務」を軽視する風潮ほんと良くないと思います。

「この研究は何の役にも立ちません」ってセリフが嫌い

「この研究は何の役にも立ちません」

「役に立つ研究」への反動か、しばしば自分の研究は役に立たないとする宣言を見かけます。その研究がワクワクするものであるほど、拍手喝采を贈る人が多いことも。

しかし、実のところ私はこのセリフが嫌いです。聞いててワクワクしないから。

「この研究が現時点で役に立つかどうか誰にも判らない」なら、研究者本人にだって断じることは出来ないはずです。

でも「私の仕事はこれを役に立てることではない。もしこの研究に可能性を感じるなら、ぜひあなたの力を貸して欲しい。」だとしたら?

少なくとも私が対面でこのセリフを言われたら、どこに話を持っていけば良いか必死に考えますよ。思いもよらない出会いによって別の面白さが生まれれば、みんなが得するわけでしょう?

的外れなこと言われるとついムッとしちゃうんだけど、世界がちょっとずつ良くなる呪文って探せばあると思うんですよね。