進行形の恋に名前などない

育てていたはずの形ない感情は、言葉にすることで姿を現して、そのまま後ろも振り向かずに手元から離れていくのだと思います。

進行形の恋に名前などない

先日、もう何年も放置してるサイトのご縁でちょろっとTV出演させて頂きました。BS日テレ 「中川翔子のマニアまにある」です。

取り立てて告知しなかったのは、スタッフさんから事前に伺ってた放送予定日より一ヶ月も近く早く放映されたためですね。おちさん知らなくてめんたま飛び出たもん。

撮影スケジュールも非常にタイトでしたから、やはり皆さんお忙しいのでしょう。私のプロフィールも間違い含みのまま話が進んでおりましたのでね…。
(´・ω・`) (´・ω..:;.:… (´:;….::;.:. :::;.. …..サラサラ

マニアまにある出ました

ひとまずゲストのやくみつるさんから「(人として)アウト」って言われたのを光栄に思います。(放送見た人の「素人いじりが酷い」って書き込みもあったけど私はげんきです。)

しょこたんから「凛々しい」って言われたことも、この先永遠に自慢し続けるからな!m9( ・`д・´)

なお、お声が掛かったのは長く趣味で集めてるコレクションの件でした。実はこっち属性では時々ラジオ出たり取材受けたりしております。所長的には敬愛する しょこたんのため宇宙や深海ネタを推したかったんですが、おおむねマイルドな下ネタに終始したのは わたくしの不徳の至りであります。

お見せするような顔じゃありませんが、クマムシさんとメンダコちゃん一緒に背負う人はそんなにいないと思うので、実物認定よろしくお願いいたします。

クマムシさんとメンダコちゃん

ちなみにその古い属性は今回のお話を機に再稼働させようかなと思ってるので、お見せできる状態になったら追って詳細お知らせします。もったいつけてるのは出し惜しみしてるんじゃなくて単なる恥じらいなので細かい事はスルーして頂けると助かります。

しょこたん☆ぶろぐ【Amazon Kindle】

…って言うところまでが前振りで、以下本編です。

吐き出した言葉は守れない

本件とは別に、最近おち研のほうでも別件で問い合わせを受けたりしていました。そうして形になったものと、ならなかったもの。色々あります。

抱え込んでたモヤモヤを、先だって昆虫エッセイを上梓したメレ子さんが実にタイムリーに かつ鮮やかに掘り起こしていたので少し溜飲が下がりました。

「今北産業とわたし」のわたしは私なのだ。以下に引くのは、書籍のプロモーションで駆け回るメレ子さんご自身のお話です。

メレ山メレ子 「今北産業とわたし」 – note
※今北産業…「今来たばかりの私にこれまでの流れを三行で説明して欲しい」の意

(前略)「あなたは普通なら気持ち悪いと思われるものについて本を書いたわけですが、なんでこんなものに魅力を感じているんですか?」
「こういうものが好きな女性が最近増えているんですか?」
「あなたにとって○○とは、簡潔にいうと何ですか?」
「もっと短く」
「もっともっと短く」
「ひと言で言ってみましょう」
情けないことに、わたしは今北産業されるたびにおおいにうろたえ、怒る。去年あんなにいろんな場所に足を運び、睡眠時間を削ってキーボードを打ち続け、勢いあまって倍量書いてしまった文章を同じ時間をかけて字数制限に合わせるほど、書きたいことも書くべきことも尽きないように思われたが、そのわりにこの本には無駄なことしか書かれておらず、「簡潔に」と言われた瞬間、全センテンスは蒸発して空に昇っていってしまう。出てくる人たちの金言は彼らのものであり、わたし自身の財産ではない。(後略)

万を超える支持者がいる彼女とは比べるべくもないけれど、矢継ぎ早に降る鎗の雨に足場を削られているのは紛れもなく早晩の私である。

子供の頃から続けた趣味で、数えるほどしか同好の士と袖摺り合わぬ私でさえ しばしば似た文言を繰り返し繰り返し投げかけられたものだ。

「なぜ一般に無価値とされるものに魅力を感じたのですか?」
「あなたにとって収集するとは?」
「もっと簡潔に説明すると?」
「ズバリ一言で!」

語り合う仲間も得られぬまま20年続けた趣味の顛末が簡潔にまとまるべくもない。しかし先だっての私は最後の質問に「社会の縮図」であろうと答えた。

窮鼠の回答を受けた人は「ほぅ」とわずかに眉を上げたが、これは一種の逃げである。

名付けと認識の共通点

プラトンやアリストテレスを引くまでもなく、「知るとは何か」「認識するとはどういうことか」は人として永遠のテーマだろう。その一つの明晰な策として「存在するとは知覚される事だ」と言ったのは確かバークリーだったか。

この「知覚」は、しばしば「認識」や「名付け」と同じ文脈で語られる。言霊信仰と近い発想と言えるかも知れない。なれば名付けは漠然と抱えた感情を定量化するための儀式であるし、ある種の可視化と呼んでもいい。

そうして具現化した感情は、自分の体を形成していた組織の一部でありながら もはや自分の手を離れ、誰かと共有されうる別の何かに変わるのだ。

請いと恋の共通点

手を延べて請う気持ちを恋と呼ぶなら、認識と引き替えに掴んだ喪失感は恋が終わったときの感情とひどく似ている。

だからこそ私は、「社会」などという形ない言葉をタコ墨のように吐き出して鎗の雨から裸足で逃げ出したのだ。暗闇をかき分けて一心に光へ駆け出すときの、高鳴る鼓動を捨てないように。

ネットスラング 今北産業BLK
だが断る