果たして科学はエンターテインメントとして成立するか

科学と娯楽の行く末は、アートの文脈から考えるのが良い気がしてます。

果たして科学はエンターテインメントとして成立するか

日本微生物生態学会による市民講演会というのに行ってきて、科学講演の可能性について考えてみた裏れぽです。
サイエンスは最高のエンターテイメントやDay!を観てきたよ!

「サイエンスは最高のエンターテイメントやDay!」と銘打った科学の祭典は、コントありヒューマンドラマありの多彩な構成。一癖も二癖もある謎の盛り上がりを堪能することが出来ました。

ただ、一つ気になった点があります。全体を通じて何のわだかまりもなく芝居を楽しむためには「海の研究者であるJAMSTECの高井研先生が真面目に宇宙生命体を探してる」という文脈をあらかじめ知っている必要があった。

もちろんその事実を知らなくても、注意深くシナリオを追っていけば最終的に話のつじつまが合うようにはなってました。でもその予備知識がなければ、少なからず戸惑ってしまうような構成だった。

私自身、科学は最高の娯楽だと思ってます。でもハードルが高いと言われる分野の多くは「大衆娯楽が当たり前に行ってる手続き」を踏んでない。

誰でも楽しめるはずの大衆娯楽でさえ、一見さんの興味を引くには予習となる導入部を用意しないと容易に成立しにくいんです。軽音楽やテレビゲームのような娯楽でさえ、他に類のないシステムが受け入れられることって想像以上に難しい。

逆を言えば「娯楽の型」に沿うことで、科学はもっと身近になる。そして、もっと身近になって欲しい。だから素人目線で思ったことを正直に書きます。

学問は芸術だ

研究者の講演日程を手帳にメモするとき、折に触れて思い出す話があります。蟲喰ロトワ師の「プロフィール欄に好きな研究者を書こう」ってやつ。

例えば古代ギリシャでは、科学も芸術もそれほど明確に区別されてはいませんでした。

私も音楽会と研究者の講演はどっちも等しくライブだと思ってます。

つまり科学講演に足りない要素は、芸術の作法を借りてくることで丸く収まる。 #論理の飛躍

型があっての型破り

技芸において型の存在は大事です。お笑いでさえ、一定の作法に従ってなければ相手に方針が伝わらない。

たとえばマンガにおける「型」について考えます。

今となっては見かけませんが、昭和の旧作を手に取ると「読み進めるコマの順序を事細かに指示してる作品」というのがありました。

トキワ荘・寺田ヒロオ
「トキワ荘青春物語」より寺田ヒロオ「背番号0」

現代の私達から見れば全く気楽に読み進められるマンガという媒体は、ほんの半世紀前までチュートリアルが必要なメディアだった。

もちろんマンガ文化が成熟した現代では、コマ割りの作法に従って特段の指示なく読み進めることが出来ます。

しかしマンガの作法を知らない読者にはマンガを理解することができません。正しい順序で読めないし、顔に縦線みたいな漫符の意味も分からない。 

供給サイドでどんなに魅力的なストーリーを揃えても、現代の「不親切な」作品が彼らに響くことはないでしょう。

技術集団が主張しがちな「良いものを作りさえすれば売れる」の罠も、この延長線上にありますね。

面白さと判りやすさは別物です。

「そろそろ来るぞ」の期待に応える

じゃあ「判りやすさ」って何でしょう。

ここで言う判りやすさとは、受け手の期待に応えるための配慮です。必ずしもコンテンツのレベルを下げることを意味しない。

例えば格闘技経験者が現れて、突然蹴りかかってきたら普通の人はまず困る。…というかそれ普通に犯罪ですし。

でも希望者に防具とミットを渡して「いまからこのへん目がけて右足打つから構えて下さい」ってやれば、それなりにアトラクションとして成立します(よね?)

冷静に考えて相応に負荷が高いストレスでも、事前に心構えが出来てればどうにか乗り切れるはずです。

一方サイエンスカフェなんかに出向いて気になるのは、あるテーマについて複数の登壇者が立つとき関係ない話をしてる人が少なくないように見えること。

ある程度その分野を知ってる人は、ぱっと見関係ないようにみえる事柄を見ても共通性をすくい上げられるんで「そう来たか~」ってなるんですけど、繋がりに気付かずキョトンとした人を見ちゃうと本当に胃が痛い。(´・ω・`)

それぞれ冒頭で「○○テーマだけど△△の話をします、でも実は○○と△△には意外な共通点があるから良く聴いててね。最後にちゃんと解説します。」って一言入れるだけでずっと迷子が減ると思うんです。それはおそらく受け手の満足度に直結する。

その配慮は登壇者自身がしても良いし、会の全容を把握してる人を進行役に置いてメインテーマとのズレを随時補正したって良い。

イベントの余興に呼ばれたタレントさんのフリーライブも、プロの司会がはいるとめっちゃ盛り上がるのと同じよね。(わかりにくい)

初めて聴く歌で縦ノリとかまず無理なんですけど、たとえば合いの手を入れる指示があれば「あ、この曲は騒いでいいんだ」って言うメッセージが観客に伝わる。

多少理解がおぼつかなくても現在地をざっくり把握することが出来て、その上で自分なりの楽しみ方が示されてこそ、初めてさんでも気軽に参加できるエンタメだろうと思うのでした。

日本分子生物学会2015神戸

今回のイベントを知って日本分子生物学会2015神戸が脳裏をよぎった人は多いと思うんです。

こちらもアカデミックな会ながら一般講演ありエンタメありの盛りだくさんな構成でした。

市民講演のためだけに神戸は遠すぎたんで実際には行ってないんですけど、参加した学者さんの感想を追ってたらすごく楽しそうな会であることは素人目にも伝わってきました。

一部のプログラムはテレビでも放映されて、それ自体かなり珍しいことだと思うんですが登壇者のプレゼンが本当に面白かった。

他の人の発表を受けてアドリブ折り込んできたり、今日から使えるパワポ芸が目白押し。(違)

研究者でもないのに日程表見ながらワクワクしちゃいましたもん。まさに知のワンダーランドって感じですよ。

しかも特設サイトが超オシャレだったし。

高井先生が「日本微生物生態学会のも放映しないかな」みたいなことおっしゃってましたが、もしテレビが入ったら細かいナレーション入って流れがわかりやすくなるかもね。

イベントの進行役ってほんと大事。サイエンスコミュニケーターさんとかこういうとき間に入ればいいのに。

BMB2015(第38回日本分子生物学会年会、第88回日本生化学会大会 合同大会)
日本微生物生態学会 第31回大会 横須賀 » 市民講演会&サイエンスエンターテイメント