「最後まで諦めるな」というアドバイスが無責任である理由

「最後まであきらめるな」というセリフは、言って良い人と悪い人がいます。

「最後まで諦めるな」というアドバイスが無責任である理由

テスト勉強やスポーツの試合に際して「最後まで諦めるな」と言う人が苦手です。

もうちょっと正確に言うと、最後まで諦めるな「としか言わない」人。

正直「お前何様だよ」って思います。その前にもっと他に言うことあるでしょう。

万策尽きたら打つ手はない

事の発端は、性犯罪の被害者に対して「死ぬ気で抵抗すれば防げる」と主張をする人が一定数いる事への違和感です。

私は一般的な女性の3倍近い筋力があって武道の心得も少しありますが、自分より大きな暴漢に捕まったら何も出来ないだろうと思っています。

無駄に力があると言っても男性と比べたら平凡な数値ですし、なにより身長と体重が違いすぎる。間合いとスタミナの差を考えたら、とても勝負になりません。

いくら火事場の馬鹿力があると言ってもせいぜい普段の数割増しでしょう。少年漫画じゃあるまいし、何倍ものボーナスがつくとは考えにくい。仮に抵抗し続けたとしても、逃げるための体力さえ使い果たして動けなくなるのが関の山です。

試験や試合だって同じなのです。せめて五分五分くらいの実力がなければ、奇跡を期待するだけ無駄というもの。諦めなければ困難に克てるだなんて、ただの幻想にすぎません。

「最後まであきらめない」の正体

実際、諦めずに成功する人が愚直に同じことを繰り返しているかというと、決してそんな風には見えません。

難問に当たってうまく解けなかったら、違う解法で解いてみる。

格上の強豪チームと当たったときは、相手の苦手パターンに持ち込めそうな方法を試してみる。あるいは自分たちの苦手を先に潰しておく。得意なプレースタイルをもっと磨く。

仕事なら、より効率的なやりかたを探してみる。今までの業績を足掛かりにしてカバー範囲を広げてみる。

あらかじめ多くの戦術を知っている人は、その場その場で一番良さそうな方法を選んでいます。最初の作戦がダメでも、次点策に切り替えれば良い。

以前より少しずつ筋が良くなってるから、結果として好ましい結果に到達したと考えた方が自然です。

「最後まで諦めない」の正体は、「万策尽きずに済むほど多様なテクニックを持っていた」ではないでしょうか。

戦術を学ぶ

テストだったら事前に出題範囲を勉強しますよね。用語を確認したり、構文を覚えたり、公式を必要に応じて使えるようにする。

スポーツなら基本の動きを叩き込む。天候による道具の特性や自分の癖を客観的に分析する。体作りも大事です。

まずは、やるべき事をちゃんとやる。今の自分に使いこなせる技術を増やす。神頼みをしたってかまいませんが、「決して諦めない」だって最後のおまじないの一部です。

「最後まで諦めるな」が神風を呼ぶ呪文であるなら、祝詞を唱える資格があるのは戦術を増やすことに尽力した当事者だけだと思うのです。

「死ぬ気でやれ」という暴力

絶望的に出来ないとわかっていることを、何度試したところでダメなものはダメなのです。何事も失敗すれば心は折れるし体力も浪費するし、疲れれば勝率はどんどん下がります。

たとえ失敗しても諦めずに頑張れるのは、やり方を修正すれば良くなることが期待できるときだけ。

「どうしたら良くなるのか」という具体論に全く触れないまま「諦めるな」「死ぬ気でやれ」だなんて、何もアドバイスしていないのと一緒です。それどころか退路を塞いで脅迫している点で本当にたちが悪い。

この手の味方のフリをして爆弾投げ込む連中の言うことを真に受けると本当に壊れてしまうので、師を探す時は出来ることの幅を広げてくれる人を選ぶと良いです。

何も教えてないくせに「うまくいかないのはお前が悪い」とか言う人、本当に卑怯で滅びてほしい。何も手助けできないなら、せめて「あなたのことを応援してる」とでも言えばいいんだ。