目立つ欠点があるわけでもないのに、どうも波長の合わない人…というのがいる。
この手の人と関わると、何気ないやりとりをしているだけでひどく疲れる。
客観的に見て相手に大きな問題がない場合、不快感を訴えても周囲の同意が得られにくい。よって余計に気が滅入る。
んが。いくら世間様にとって無害でも、自分にとっては有害なのだ。そこは局所的事実として認めて良いだろう。
「生理的に無理」を言語化する
ちなみに、セクハラやパワハラのたぐいは本稿での「有害事例」に含めない。これらは明らかに公共の平和を乱す行為なので、私が断罪するまでもなく犯罪である。
ここでいう「有害事例」とは、あくまで俺様が個人的に気分を害する状況を言う。
数え上げればきりがないが、一例をあげるとこんな感じ。
誰しも多かれ少なかれ好感度に関わる項目だと思うけれど、私個人はこのへんの性質を色々なことに読み替えているので配点としてはかなり高い。
一つ二つで眉をしかめるようなことはしないけれども、度が過ぎると ついつい死んだ魚のような目で応対してしまう。
感情に名前を付ける
もちろん書き出したのは私個人の対人評価軸である。この程度のことを気にするなんて心が狭いといわれれば全くその通りだ。
ただ自分の心が狭いのはどうしようもない事実なので、出会い頭に苦手な要素と対面したら無駄に疲れるのも目に見えている。
言いようのない不快感の塊というのは思いのほか後を引く。早い段階で検知可能なストレスは出来るだけ早く対処したほうが風化するのも早いだろう。
どうにも合わない奴というのは避けようもなく存在する。その都度いちいち受動的に怒るよりも、そのやり場のないエネルギーを使って逃げたり応戦する方がずっと建設的だ。
嫌いなやつは嫌いでもいい
昔から「嫌いな奴のことは嫌いでもいいから折り合いをつける方法を考えろ」をモットーにしてるのだけど、折り合いをつけるためのモヤモヤを飲み込みすぎて嫌いだと思う気持ちそのものを忘れてた。
必要以上に火種を育てなければ別に嫌いだっていいのだ。嫌いなやつのことを嫌いだと認識したらだいぶスッキリした。
そんな簡単なことに気づかなかったせいで、年末年始の貴重な時間を2ヶ月くらい無駄にしてしまった。ちくしょう。
ムカつくという気持ちは、防戦ではなく駆動力に使う。ちぃ、おぼえた。
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